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日本人の物語00803【鎌倉末期】長崎高重最後の戦い

 御内人の中でも最強戦士と名高い長崎高重は、小手指原の戦いからこの日まで80回以上も戦っていました。太平記は、その高重が最後の最後に新田軍に一矢報いたエピソードを取り上げています。
 鎌倉防衛戦において敵の首を30以上も挙げた高重は、北条高時の籠もる東勝寺に戻り、門の前から高時に呼びかけました。
「今日は今生の別れの日となるでしょう。殿はどうか敵の手にかかって死ぬことのなきようご覚悟下さい。ただし、私が帰ってくるまではまだ自害なさらないでください」
 そう言って高重は勇んで出撃していきました。高時は
「高重の姿を見るのもこれで最後か」
と名残り惜しそうに見ていましたが、高重はここからかなりの奮戦を見せます。
 高重ら150騎は新田義貞の大将首を狙って、あえて旗を掲げずに刀も鞘に納めたまま、新田軍の本陣に近づいていきました。これは鎌倉武士らしからぬ卑怯な戦い方かもしれませんが、圧倒的に不利な状況ですから仕方ないでしょう。
 新田軍の誰一人として高重の存在に気付かないまま、高重は新田義貞に半町の距離にまで近づきます。
 しかし義貞の側近・由良具滋(ゆらともしげ:?~1337)が遂にこれに気づきます。由良たちは高重に斬りつけようとしますが、高重らはここで正体をあらわにして、新田軍に次々と斬り付け始めました。
 長崎高重軍150騎に対して、新田軍は何と3千騎。しかし高重らは敵を翻弄し、新田軍は次々と同士討ちをしてしまいます。
 これを見た新田軍の長浜六郎(ながはまろくろう)が
「情けない者たちだ。敵は笠標(かさじるし)を付けていないのだから、笠標を見て敵かどうか判断しろ」
と声をかけたため、新田軍による高重らへの猛攻はさらに厳しくなりました。
 高重は主従たった8騎になりましたが、それでもなお戦い続けました。
 その高重を斬って功を挙げようと、新田軍の横山重真(よこやましげざね:?~1333)が近づいてきました。高重は
「横山ごときと戦う気にはなれん」
と言いながら、近づいた横山を太刀で真っ二つに斬ってしまいます。

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