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日本人の物語01346【室町/義教期】正長の土一揆 麹騒動

私の連載の中では珍しい(?)民衆が主人公の話です。

 将軍・天皇が続いて代替わりしたことを受けて、正長元(1428)年9月18日、近江坂本の馬借が代替わり徳政を求めて「正長の土一揆」を起こします。
 ここから、近江の馬借が蜂起するまでの経緯を説明していきましょう。そのためには時間をさかのぼり、酒屋と麹屋(こうじや)の対立から話を起こしていかねばなりません。
 室町初期においては、酒屋が酒造り、麹屋が麹造りを行っており、別々の業界とみなされていました。麹屋は北野社(現在の北野天満宮)の強い庇護の下、「麹座」と呼ばれる同業者組合(座)を結成し、北野社の権威を背景に洛中における麹の製造・販売権を独占していました。
 その独占状況に、延暦寺を味方につけた酒屋が進出してきます。酒屋は酒造りの傍らに麹造りにも手を出し始めたものですから、当然に麹座を刺激することとなりました。
 室町幕府は延暦寺と対立していますから、麹座の味方をして酒屋を弾圧し始めます。明徳4(1393)年に幕府は酒屋に対し、座への加入の有無に関係なく一律に課税を義務付けました。延暦寺はひどく反発しましたが、当時の義満の勢いはすさまじく、なすすべもなかったようです。
 幕府が味方になっていることを知った北野麹座は、さらに幕府に働きかけ、応永26(1419)年には洛中における麹の製造・販売権を独占できる権利を獲得しました。これにより洛中の酒屋は麹造りを禁止され、北野麹座から購入せざるを得ない状況となりました。もちろん酒屋たちは反発しますが、幕府は兵を動員して酒屋内にある麹の工房を次々と打ち壊していきました。
 幕府による酒屋への異常ともいえる冷遇ぶりは、将軍義持が酒を嫌ったことと関係があるかもしれません。義持は禅宗を深く信仰して禁欲的な生活を実践し、禅寺に対して広く禁酒令を出したりしていました。酒屋をいじめ抜いてつぶそうとしていたのかもしれません。
 酒屋を庇護すべき立場にある延暦寺が幕府に何度も嘆願しますが、なかなか麹販売権は得られません。義持はそもそも仏道に励むべき延暦寺が酒屋とつるんでいること自体、快く思っていなかったのでしょう。
 麹造りができないとなると、酒屋は余った米を安価に叩き売ったり、別途営んでいる金融業で儲けたりするほかありません。当時、酒造業者である酒屋、倉庫保管業者である土倉(どそう)は本業とは別に高利貸しを営んでいたのですが、酒を造れなくなった酒屋はおのずから金融業を主たる生業とするようになりました。
 この酒屋たちの経済的敗北が一揆のきっかけとなります。

この後も「土一揆」は頻発するのですが、正長の土一揆こそがその最初の事例なので、かなり詳しめに紹介しています。

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