日本人の物語01089【南北朝中期】新田義興謀殺 竹澤の芝居
今日からは歌舞伎にもなっているお話です。新田義貞の息子たち、かつては有名だったのでしょうが、現代人にはあまり知られていないですねえ。
ここで舞台を東国に飛ばし、新田義興の死について見ていきましょう。多分に創作が盛り込まれていますが、伝説をそのまま紹介していきます。
新田義興・義宗兄弟と、その従兄弟の脇屋義治の3人は、ここ数年越後国に立て籠もっていました。戦況は思わしくなく、北朝方と小競り合いを起こしてはそのたびに敗北していたところです。
そこに、武蔵国・上野国の南朝方から書状が届き、
「お三方の中でどなたかお一人、東国へお越しいただけないでしょうか。大将になっていただき、兵たちの士気を上げたいのです」
と言ってきました。義宗・義治の2人は
「そう簡単に士気が上がるものか」
と懐疑的でしたが、気の早い義興はこの話に乗り、郎党100人ほどを連れて武蔵国へやって来ました。
この情報は、すぐに鎌倉の基氏と畠山国清の耳に届きました。畠山国清は大軍を派遣してすぐさま義興を討とうとしますが、義興はなかなか神出鬼没でどこにいるのか分かりません。
そこで畠山国清は一計を案じて、家臣の竹澤右京亮(たけざわうきょうのすけ)を呼び寄せて、こう述べました。
「そなたは今でこそ幕府の手の者だが、かつて武蔵野合戦のときは義興の手下だっただろう。義興もきっと当時のよしみを忘れていないはずだ。義興を騙し討ちするには、そなた以上の適任はいないだろう。どんな計略を巡らしてもよいから、義興を討て。恩賞は思いのままだぞ」
竹澤は元々強欲者で情のない者でしたから、
「でしたら、義興殿に疑いを持たれずに近づくために、私はわざと国清様からお叱りを受けて追放されたということにして、義興殿に取り入りましょう」
と提案しました。
竹澤は一芝居を打つために、翌日から多くの遊女を呼び寄せて、連日宴を開催して遊び戯れました。さらに仲間を集めて連日の博打を行いました。これを聞いた畠山国清は大いに怒ったふりをして、
「このような者に緩い処分を下しては、今後ますます勝手な振る舞いが増えるだろう」
と言って、竹澤の所領を没収して追放してしまいます。
竹澤右京亮はなかなかの役者のようです。
