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日本人の物語00259【平安前期】国司と親王任国

 天長3(826)年9月6日、清原夏野(きよはらのなつの:782~837)の奏上により、「親王任国」という制度が制定されました。この機会に、国司や大宰府の官職について説明しておきましょう。
 当時、朝廷は各国の「国司」「郡司」を任命し、これを地方行政の足掛かりとしていました。国司とは国ごとに設置されるもので、現在でいうところの都道府県庁のようなものです。一方、郡司とは国よりも小さい単位である郡ごとに設置されるもので、現在でいうところの市役所のようなものです。また、国司の役所を「国衙」といい、国衙が置かれた場所を「国府」といいます。
 国司の中の役職は、トップが守(かみ)、ナンバー2が介(すけ)、ナンバー3が掾(じょう)、ナンバー4が目(さかん)です。例えば讃岐守(さぬきのかみ)は香川県知事、伊予介(いよのすけ)は愛媛県副知事ということになります。
 時代が下るとともに国司の規模は大きくなり、役職が増えていきました。例えば、国によっては掾を「大掾」「小掾」の二つに分けるケースが増えていきます。「常陸大掾(ひたちのだいじょう)」というと、茨城県庁のナンバー3に当たる幹部職員が大小2人いて、そのうち上位の方だと思ってください。
 さらに、「権守(ごんのかみ)」「権介(ごんのすけ)」といった「権」が付く役職も増えていきました。「権」とは「代理」くらいの意味で、課長と課長補佐の間に「課長代理」という役職が新たに加わったようなものです。
 さて親王任国とは、増えすぎた親王を高く処遇するため、常陸国(茨城県)・上総国(かずさ:千葉県)・上野国(こうずけ:群馬県)の3国について守を親王にしようという制度のことです。この制度ができて以降、常陸守・上総守・上野守は親王が就く職となり、彼らは就任しても現地には赴かないのが慣例となりました。実質的な国司のトップは常陸介・上総介・上野介ということになります。
 なお、九州に置かれた政府の出先機関である大宰府については、
・トップが大宰帥(だざいのそち)
・ナンバー2は大宰大弐(だざいのだいに)・大宰少弐(だざいのしょうに)の2名
・ナンバー3は大宰大監(だざいのだいげん)・大宰少監(だざいのしょうげん)の2名
・ナンバー4は大宰大典(だざいのだいてん)・大宰少典(だざいのしょうてん)」の2名
です。ただし、トップとナンバー2の間に「大宰権帥(だざいごんのそち)」が置かれる場合もあります。有名な菅原道真の左遷ポストは大宰権帥でした。
 今後、国司や大宰府の様々な役職が登場してくるので、ここでまとめておきました。

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