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日本人の物語00355【平安中期】藤原道長とは何だったのか

 道長が死去したところで、道長のプロフィールについてまとめ直しておきましょう。
 道長の娘は、長女彰子、次女妍子、三女寛子、四女威子、五女尊子(たかこ:1003?~1087?)、六女嬉子の6人です。
・長女 彰子(母は源倫子):一条天皇の中宮。敦成親王(後一条天皇)と敦良親王(後朱雀天皇)を産む。
・次女 妍子(母は源倫子):三条天皇の中宮。禎子内親王を産む。
・三女 寛子(母は源明子):敦明親王の妃。一男一女を産む。
・四女 威子(母は源倫子):後一条天皇の中宮。章子内親王と馨子内親王(かおるこないしんのう)を産む。
・五女 尊子(母は源明子):太政大臣源師房(みなもとのもろふさ)の妃。三男三女を産む。
・六女 嬉子(母は源倫子):皇太子敦良親王(後の後朱雀天皇)の妃。親仁親王(後の後冷泉天皇)を産む。
 倫子の子と明子の子とで、結婚相手のランクにはっきり差をつけていることが分かりますね。倫子の子らは皆、皇位継承者に嫁いで皇位継承者を産んでいます。一方、明子の子はいずれも皇位と無縁の人に嫁いでいます。
 さて、4人の子を天皇に嫁がせて一大政権を築いた藤原道長ですが、どうも映画やドラマの題材として取り上げられることが少ないようです。令和6(2024)年の『光る君へ』で取り上げられるまで大河ドラマのテーマになったこともありませんでした。なぜなのでしょうか。
 実はこの度、藤原道長を書くに当たっていろいろな本で勉強したのですが、どうも道長には政策がないのですね。天皇と外戚関係を築いて、政権を掌握したということは分かるのですが、その政権においてどんな政策を実施したのかというと、いまいち中身がないのです。
 平清盛は日宋貿易によって貿易立国を目指しましたし、徳川家康は各藩の勢力を拮抗させ管理することで平和の実現を目指しました。為政者たちは国家の在りようについて何らかの理想を描いていたのです。
 ところが道長にはそれが見えて来ないのです。彼は人事権を掌握したり荘園を管理したりして私腹を肥やすことや、和歌を朗詠して蹴鞠に興じる文化的な生活を送ることにばかり関心があって、社会問題に目を向けたりそれを解決したりといったことには関心がなかったようです。これではドラマとして成り立たせづらいでしょうね。
 さて、道長の時代が終わり、次回から藤原頼通の治世が始まります。

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