日本人の物語00933【南北朝最初期】義良親王、伊勢に漂着
九州に赴いた懐良親王の話は一旦さておき、奥州に向かった義良親王、関東に向かった宗良親王の一行がどうなったかを詳しく見ていきましょう。
奥州・関東に向かう一行は、陸路では敵が待ち構えていて通過しづらいだろうと考え、大湊(三重県伊勢市)から海路で東国へ向かうこととしました。
風が止んで海が凪いだ延元3/暦応元(1338)年9月12日に、一同は大湊から出航しました。兵船500艘という大軍です。
ところが遠江(静岡県西部)を過ぎた頃に、風が吹き荒れて波が荒れ始めました。兵船の中には、帆柱を吹き折られてしまったものも出てきます。
義良親王が乗った船もまた、今にも転覆しそうになりましたが、そこに突然輝く日輪が現れ、逆風が吹き始めてその船は伊勢の方へと吹き戻されました。他の船は多くが行方知れずになったのに、義良親王だけが明確に意志を持った風によって伊勢に戻されたというわけです。
伊勢に上陸した兵たちはこの不思議な現象に驚き、
「この宮様はお世継ぎにふさわしいから、関東に行くのをやめて吉野に戻れと神がおっしゃっているのだろう」
と言って、義良親王を吉野へと返すこととしました。
吉野に戻った義良親王は、程なくして皇太子に立てられ、翌年の後醍醐天皇崩御を受けて次の天皇位に即位することとなります。後村上天皇です。
以上のとおり、義良親王一行の行方について『太平記』に書かれたとおりに記述して来ましたが、あまりに不思議な話ですね。後村上天皇の即位を正当化するために逆算して作られた話のような気がします。
一方、結城宗広が乗った船は強風に吹かれ、7日間に渡って海上を漂った後、安濃津(三重県津市)に漂着しました。結城宗広はどうにかして奥州へ行こうと風を待ちますが、急病に倒れます。見舞いに訪れた僧が
「念仏を唱えて極楽往生を志してください」
と薦めたにもかかわらず、結城宗広の遺言は
「息子には、私の供養は不要であるからただ朝敵の首を取って私の墓前に供えよと伝えていただきたい」
というものでした。『平家物語』における清盛の最期にそっくりですね。
