日本人の物語00450【平安末期】源仲綱と名馬「木の下」
以仁王の謀反を鎮圧するために選任された源頼政が、あろうことか以仁王側について反乱に加担することとなってしまったわけですが、清盛の推薦で従三位にまで上り詰めたはずの頼政が、なぜ平家に反旗を翻したのでしょうか。
平家物語によると、その原因は平宗盛に対する私怨にあるといいます。
かつて、源頼政の子・仲綱(なかつな:1126?~1180)は「木の下(このした)」という名の名馬を秘蔵していました。その評判を聞いた平宗盛は、
「評判の高い名馬を是非拝見したい」
と仲綱に文を書きました。しかし仲綱は
「今は休養させるため田舎へやっております」
と断りました。宗盛は
「それなら仕方がない」
と一旦は諦めましたが、宗盛配下の兵たちは
「おかしいな。その馬なら昨日も見ましたよ」
などと言い合ったので、宗盛は
「さては見せるのを惜しんでいるのだな」
と怒り、
「すぐにその馬を六波羅に送り届けよ」
と威圧的な手紙を送り付けます。
仲綱はやむなく木の下を送り出しましたが、宗盛はその名馬を見て
「馬は実によい馬だが、持ち主が出し惜しみをしたのが憎いから、仲綱という焼き印を押せ」
と命じました。
こうして名馬木の下には「仲綱」という焼き印が押され、宗盛は
「それ、仲綱めに乗れ」
「それ、仲綱めに鞭を当てよ」
と名馬を皆の前で辱めるようになりました。まるで子供ですね。清盛や重盛に比べてあまりに見劣りします。とても平家の棟梁の器ではありません。
仲綱とその父・頼政は、宗盛のあまりの仕打ちに憤り、「いつか平家を滅ぼしてやる」と決意を固めることとなりました。
さて、その頼政が、よりによって平宗盛とともに追捕使に選ばれたのは運命の皮肉でした。頼政・仲綱父子は今こそ好機とばかりに、以仁王らが立て籠もる園城寺に飛び入り、決起に参加することとしたのでした。
