日本人の物語01561【室町/西国/応仁の乱】和歌と所領の交換
すごいエピソードですよ、という体で紹介しておいて何なんですが、所領を返してもらうために書き送った和歌、良い出来なのかどうなのかいまいち分からないんですよね。和歌鑑賞はど素人なので。
亡命してきた兄・氏数から、故郷の篠脇城やそこにあった和漢書が失われたことを聞いた東常縁は、
「あるがうちに かかる世をしも 見たりけり 人の昔も 猶も恋しき」
と詠みました。恐らく東常縁と斎藤妙椿はかねてより知り合いだったのでしょう。昔仲良くしていたあの頃の妙椿はどこへ行ってしまったのかと嘆いたのです。
このとき、常縁の家臣として下総で戦っていた浜春利(はまはるとし)は、常縁の詠んだ歌を在京する兄・浜康慶(はまやすのり)に書き送りました。そして浜康慶から数人を経て妙椿の耳に入ったのです。
常縁の嘆きを知った妙椿は
「いとあはれにも詠めるものかな。此人歌よみて送りたらましかば、かへししなんものを」
と述べました。つまり、歌を「あはれ」と評価し、もし常縁本人が歌を書き送ってくれれば所領を返してもよいと述べたのです。
妙椿のコメントは浜兄弟を通して関東にいる東常縁のもとに伝えられ、応仁3(1469)年2月2日、東常縁は願いを託した10首を妙椿に書き送りました。
・堀川や 清き流れを 隔てきて すみがたき世を 歎くばかりぞ
・いかばかり 歎くとかしる 心かな ふみまよふ道の 末のやどりを
・かたはかり 残さむ事も いさかかる うき身はなにと しきしまの道
・思ひやる 心の通ふ 道ならで たよりもしらぬ 古郷のそら
・たよりなき 身をあき風の 音ながら さても恋しき ふるさとの春
・さらにまた たのむに知りぬ うかりしは 行末とをき 契りなりけり
・木の葉ちる 秋の思ひに あら玉の はるに忘るる いろを見せなむ
・君をしも 知るべとたのむ 道なくば なを古郷や 隔てはてまし
・みよし野に なく雁がねと いざさらば ひたふるに今 君によりこむ
・吾世経む しるべと今も 頼むかな みののお山の 松の千とせを
これに対する妙椿からの返歌は
・言の葉に 君が心は みづくき(水茎)の 行末とほく 跡は違はじ
でした。約束は違えまいというのです。
常縁は所領を受け取るために4月21日に下総を発ち、5月12日に京で妙椿と対面して感謝を述べ、その後美濃の篠脇城に向かいました。
斎藤妙椿が和歌と引き換えに所領を返還した話は美談として語り継がれ、妙椿は情緒を知る武士として、東常縁は和歌の名手として、ますますその名声を高めることとなりました。
妙椿が和歌と引き換えに所領を返したのは、もちろん「風流を知る武士ですよ」というアピールによって自分の名声を高めたいとの思いもあったからでしょうね。
