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日本人の物語00317【平安中期】66代一条天皇*

 さて、花山天皇の奇行は止まりませんでした。女御の藤原忯子(ふじわらのよしこ:?~984)が妊娠したのに参内させ、昼夜寵愛し続けたというのです。
 この時代、血は「穢れ」として忌み嫌われ、生理中や妊娠中の女性は内裏に入ってはならない決まりでした。花山天皇はその掟を破ったというわけです。
 忯子がいよいよ出産に入るために内裏を退出する際、花山天皇は自ら見送りに立ちました。ところがその忯子は流産し死去してしまうのです。
 この頃、「懐妊のまま死去した者は極楽往生できない」といわれていたため、天皇の悲しみは激しく、しばらくは他の女御を寄せ付けないほどでした。花山天皇は忯子のために出家を考え始めることとなります。
 寛和2(986)年。花山天皇の出家の思いはますます強くなっていました。これに乗じて兼家の三男・道兼が一計を案じます。道兼は「私もご一緒する」と言って花山天皇に出家を薦めたのです。
 6月22日。道兼は夜中に花山天皇を山科の元慶寺に連れ出しました。事が露見すると反対されるから、夜中にこっそり出かけましょうというのです。このとき、兼家派に属する源満仲が警護を務めました。
 内裏を抜け出す際、花山天皇は「忯子からの思い出の手紙を取りに戻りたい」と言い始めました。これに対して道兼は「なぜそんなものに執着なさるのでしょうか。今を逃すと脱出の好機はありませんのに」と泣き真似をしたといいます。
 内裏から山科への道すがら、たまたま陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい:921~1005)の家の前を通りかかると、家の中から「帝が退位しようとしている。阻止しなければ」との声が聞こえて来ました。さすがは安倍晴明、陰陽師ともなれば天皇に何が起こっているかが占いで分かってしまうようです。これを聞いた道兼はますます道を急ぎました。
 山科の元慶寺に着くと、花山天皇はさっそく剃髪しました。その後、道兼もまた後を追って剃髪する予定でした。
 ところが道兼は直前になって「最後に父に今の姿を見せたい」と行って出かけてしまったのです。花山天皇は騙されたことを知り、悔しがりましたが後の祭りです。
 出家してしまうと仏に仕える身ですから、天皇の役割は果たせません。(なぜか歴代のうち称徳天皇だけは出家後に天皇になっていますが、これは例外です。)
 こうして花山天皇は譲位の宣命を一切発していないのに、自ら皇位を捨てたものとみなされてしまい、6月23日、6歳の懐仁親王が即位することになりました。一条天皇です。
 この即位も強引なやり方でした。兼家は内裏に参入して門を固めておき、花山天皇からの譲位の宣命も出ていないのに即位の儀式を執り行ったのです。
 全ては藤原氏の血を継ぐ懐仁親王を即位させるための陰謀でした。この政変を「寛和の変」といいます。

山科の元慶寺にある「花山院法皇 御落飾道場」の碑。道兼は花山天皇をここまで連れてきて出家させながら、自らは何もせず帰った。2023年12月28日撮影。

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