日本人の物語01104【南北朝中期】龍泉寺城陥落
「土塁の鳥云々」という兵書の教えは実践で役立つものなんでしょうか。私は軍事には詳しくないのですが、甚だ疑問ですね。
南朝方の龍泉寺城(大阪府富田林市)には、楠木正儀や和田正武が相談の上、千人程度の兵を擁していましたが、北朝方がこれをちっとも攻めようとしなかったので、
「このままでは軍勢が無駄になる。解散させて、別の場所で戦をさせよう」
と言って、軍勢を呼び戻すこととなりました。龍泉寺城には、さほど戦力にならない百人程度の野武士を見せかけの軍勢として残しておきます。
北朝方は、龍泉寺城に旗がたくさんなびいているのを見て、
「おびただしい軍勢がいるようだ」
と口々に言って恐れていましたが、あるとき、土岐頼康隊の中に知恵のある老武者がいて、こんなことを言いました。
「太公望の兵法書の中に、『土塁の上を見よ。飛ぶ鳥が怯え騒ぐ様子がなければ、敵はそこに偽って人形を置いているだけで、実際の軍勢はいないものだ』という話が載っている。ここ数日、私は近づいて城を観察したが、鳥が騒ぐ様子は見えなかった。これは大軍が籠もっているように見せかけて、実は旗をたくさん立てているだけだろう」
これを聞いた土岐頼康隊の面々は、500騎で城を攻撃することとなりました。
正平15/延文5(1360)年閏4月29日未明。土岐頼康隊が城門に押し寄せ、鬨の声を上げます。これを聞いた細川清氏と赤松範実(あかまつのりざね)は
「何と、先を越されてしまったではないか。急げ」
と言って、急いで城の攻撃を始めます。
最も早く堀を渡ったのは細川清氏で、
「先駆けは清氏だぞ」
と大声で名乗ったのですが、一方最も早く城中に入ったのは赤松範実でした。範実は
「先駆けは範実でござる。証人になって下され」
と叫びながら塀を越えたのでした。
土岐隊も負けじと急ぎ、城門を破って中に入ります。城を守っていた野武士たちは大した人数でもなかったので、敵わぬとみてさっさと逃げていきました。
幕府方の将兵たちは
「何ということだ。龍泉寺城は小勢だったのか。それを知らずに土岐、細川、赤松らに手柄を立てさせてしまうとは」
と悔しがりました。
