日本人の物語01132【南北朝後期】第七次京都合戦 道誉と正儀
全国的に大雪になるようですね。仕事以外は出歩かずにいようと思います。
この戦いにおける佐々木道誉の都落ちは有名エピソードなので紹介しておきましょう。
道誉は都を出る際、
「私の宿所にはきっとしかるべき大将が入ることだろう」
と言って、しっかり片付けをして、客殿には大紋の縁の付いた立派な畳を敷き並べ、本尊や掛け軸、花瓶、香炉、茶釜、盆に至るまでしっかりと整えて、書院には王義之の草書や韓愈の文集、寝室には沈香の枕を取りそろえて置いておきました。さらに番所には鳥、兎、雉、白鳥を掛け並べ、大きな樽に酒を満たし、使用人を2人残しておいて
「この宿所に来た人に酒を薦めよ」
と指示しておいたのでした。
果たしてこの宿所に入ったのは、楠木正儀でした。使用人2人が挨拶して出迎えると、元々この宿所を焼き払うつもりだった正儀は驚いて家の中を見回りました。家中にしっかりと客人を迎える準備がなされているのを見た正儀は、これを丁寧に保存するよう命じました。
さて、南朝による京都占領が始まりましたが、諸国の武将たちは意外にも南朝方を支持してくれません。上洛を命じてもやって来ないのです。頼みにしていた伊勢の仁木義長も、伯耆の山名時氏も、幕府方に阻まれてなかなか上洛できません。赤松範実に至っては、幕府方についている叔父・則祐の説得に応じて播磨に帰ってしまいました。
南朝方の勢いが弱まっているのを見た幕府方は、さっそく京へ攻め上ろうということで、京極高秀、今川了俊らが義詮の滞在する近江武佐寺に集結します。集まった1万騎は正平16/康安元(1361)年12月24日に武佐寺を出て京へ進軍を開始しました。
南朝軍は当初は京を防備しようと考えましたが、敵があまりの大軍と聞いて避難することに決め、12月26日夕方に京を出て住吉・天王寺へと逃亡しました。12月29日には将軍義詮が京へ戻りました。
このとき、道誉の宿所に滞在していた楠木正儀は、番所の酒と肴を再び調え、寝所には秘蔵の鎧と銀細工の太刀を一振り置いて、郎党2人を留め置いて道誉を迎え入れるよう指示した上で、京から逃げていきました。
この道誉と正儀の粋なやり取りは、同時代の人々に「情け深く風情がある」と好意的に受け止められたようです。一方で、
「正儀は道誉にいいように騙されて、鎧と太刀を取られたようなものだ」
と嘲笑する者もいたとのことです。
