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日本人の物語00490【平安末期】義経の郎党たち*

 ここで義経の郎党を紹介しておきましょう。いずれも室町初期に成立した『義経記』に登場する人物で、実在なのか架空なのか分かっていない人物ばかりです。
○喜三太(きさんた:?~1189)
 義経の最も古い家来です。身分が低いが弓の名手で、義経が頼朝の刺客に襲われたときはたった一人でこれを守ったといわれています。
○堀弥太郎景光(ほりやたろうかげみつ)
 経緯は不明ですが、かなり早い段階から義経の郎党として行動していた人物です。
○武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい:?~1189)
 最も多くの伝承を持った家来です。弁慶は母の胎内に18ヶ月もの間いて、生まれたときには2、3歳児の体つきで、髪は肩を隠すほど伸び、奥歯も前歯も生えそろっていたといわれています。父は「これは鬼子だ」と言って殺そうとしましたが、叔母に引き取られて「鬼若」と命名され、京で育てられました。
 鬼若は比叡山延暦寺に入れられ、仏道修行をして過ごすよう命じられましたが、根っからの乱暴者で寺を追い出されてしまい、自ら剃髪して武蔵坊弁慶と名乗り始めます。
 やがて弁慶は、京の五条大橋で道行く人を襲い、太刀を奪うようになりました。999本まで集めたところで、千本目を求めて五条大橋で待っていたところ、たまたま笛を吹きながら通る少年・牛若(後の義経)と出会います。
 弁慶は牛若に襲いかかりますが、牛若は軽々と欄干を飛び交い、弁慶の振るう太刀の上に乗って弁慶を翻弄します。返り討ちに遭い降参した弁慶は、牛若の家来となりました。
 現在、五条大橋には弁慶と牛若の対決の様子を表した石像が設置されています。
○伊勢三郎義盛(いせさぶろうよしもり:?~1186)
 野盗として義経一行を襲い、撃退されたのをきっかけに家来となりました。口が達者で、相手を騙して投降させる作戦に優れています。
○駿河次郎清重(するがじろうきよしげ)
 元は駿河国の漁師です。義経が平泉に下った際の道中で知り合い、家来となりました。
○佐藤継信・忠信兄弟
 前述のとおり、元は藤原秀衡の家臣です。義経が平泉を出立した際に、秀衡の命で義経に同道することとなりました。
○鷲尾三郎義久(わしおさぶろうよしひさ:?~1189)
 一ノ谷の戦いにおいて義経一行を崖上に案内した地元の猟師で、そのとき知り合ったのがきっかけで家来となりました。

延暦寺に残る弁慶の怪力伝説。この渡り廊下を担いで二つのお堂を持ち上げ、「弁慶のにない堂」と呼ばれるようになったのだとか。2025年9月26日撮影。
三井寺(園城寺)に残る弁慶の怪力伝説。延暦寺から三井寺に攻めて来た弁慶は、この鐘を引き摺って持ち帰り、山の上から転がしたという。そのため鐘は傷だらけである。2025年9月27日撮影。

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