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日本人の物語01247【室町/義満期】義満出家

義満といえば出家後の肖像が有名ですよね。むしろそれ以前のイメージがないです。まあ、そもそも義満がドラマに登場したことはほとんどありませんが。(一休さんの実写ドラマでは東山紀之が演じていたそうです。ちょっと見たかった。)

 太政大臣という公家の最高位の官職についた義満は、3ヶ月経ったところで出家を思い立ちます。出家した者は現役の公卿ではなくなるのですが、そもそも太政大臣という官職自体が名誉職であって数ヶ月で辞退するのが先例ですので、このタイミングでの出家はおかしなことではありません。平清盛など出家後に更なる権力を行使した例もあります。
 応永2(1395)年4月22日。義満が出家しようとしている旨を聞いた後小松天皇は、わざわざ室町第に行幸してこれを止めようと図ります。天皇の訪問を知った義満は逃げるように仁和寺へ向かい、対面を拒否しました。
 ところが夜になって義満が自宅(室町第)に戻ってみると、後小松天皇はまだそこにいました。天皇は義満出家を思いとどまらせるためならいくらでも待つつもりだったのです。
 後小松天皇が慰留の言葉を伝えると、義満は出家の件をとりあえずは撤回しました。
 6月19日。義満は再び太政大臣を辞して出家する意向を表明しました。後小松天皇は勅使を派遣して
「義満がおらねば政道はどうなる」
と述べ、出家を止めようとしますが、義満は
「ご心配なく。出家しても政務はこれまで通りに執り行います」
と答え、翌20日に相国寺で絶海中津(ぜっかいちゅうしん:1334~1405)の手により剃髪し、出家しました。
 義満出家の影響はあまりに大きなものでした。その日のうちに有力公家の四辻季顕(よつつじすえあき)と中山親雅が、義満の目の前で絶海中津の手により出家しました。
 翌日には管領・斯波義将の弟に当たる義種(よしたね:1352~1408)が義満の剃髪によって出家しました。
 そして月末までには、義満側近はおろか、今川仲秋、細川頼元、大内義弘といった有力守護のほか、公家、親王に至るまで次々と出家を遂げていきました。宮中では
「このままでは諸卿がみな坊主だらけになるぞ」
と囁かれたそうです。
 このように、義満の出家は大きな混乱をもたらしました。武家として義満に仕える分には出家の身であろうと問題ありませんが、公家として天皇に仕えるには差し障りがあります。つまり多くの公卿・殿上人が義満に忖度して出家した結果、宮中はスカスカになってしまったのです。こうして自身の影響力を誇示することも義満の作戦のうちだったのかもしれません。

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