日本人の物語00520【鎌倉初期】無断任官者への処分
さて、壇ノ浦の戦いによって、源平合戦は全て終了しました。ここからは、源平合戦の戦後処理と、その中での頼朝と義経の対立について取り上げていきます。
元暦2(1185)年4月11日。壇ノ浦の戦いの知らせが鎌倉にもたらされました。頼朝は感無量でしばらく言葉も出なかったといいます。この時点では満足していた頼朝ですが、その後4月15日には、多くの御家人が無断で官職を受けたと聞き、激怒することとなります。
このとき、頼朝が御家人たちに書き送った非難の言葉があまりに面白いので、引用してみます。
〇義廉(よしかど:苗字不明) 兵衛尉に任官
「お前は昔『頼朝より木曽義仲に仕えようか』などと言って父子で寝返ろうとしたな。忘れてはいないぞ。悪兵衛尉め」
〇佐藤忠信(さとうただのぶ) 兵衛尉に任官
「藤原秀衡の家来が兵衛尉に任じられるとは、田舎者がその気になっているんじゃないぞ。イタチにも劣る奴め」
〇渋谷重助(しぶやしげすけ) 馬允に任官
「召し抱えてやろうと思っていたが、官職をもらったせいで首を斬られる気持ちはどうだ。鍛冶屋に頼んで、首に分厚い鉄板でも巻きつけてもらえ」
〇後藤基清(ごとうもときよ:?~1221) 兵衛尉に任官
「ネズミみたいな目をして、ただキョロキョロしているだけの奴め」
〇梶原友景(かじわらともかげ) 刑部丞に任官
「声はしゃがれ、頭髪は薄く、刑部なんてガラじゃない」
〇梶原景高 兵衛尉に任官
「顔色も悪く、元々バカだと思っていた」
〇中村時經(なかむらときつね) 馬允に任官
「嘘をつくのが得意な奴。馬允と言うが暴れ馬でも取り扱っておれ」
〇舒國(のぶくに:苗字不明) 宮内丞に任官
「大井川を渡るとき、声が震えていた臆病者のくせに」
いやはや、罵詈雑言の嵐です。頼朝本人の格まで下げてしまうような内容ですが、これがそのまま吾妻鏡に載っているとはすごいですね。
これらの御家人に対しては、「もうお前は朝廷の人間になったわけであるから、帰ってくるな」と申し付けられましたが、中にはこの怒りの手紙を受け取って任官を辞退し、頼朝に許された者もいたようです。
