日本人の物語00291【平安中期】承平天慶の乱 坂東平氏の内紛*
都に出て藤原忠平に仕えた平貞盛・将門の2人でしたが、出世栄達を手にしたのは貞盛だけでした。将門は位階をもらえず、失意のまま坂東に戻ることになります。
ドラマや小説では
「貞盛は口が上手く世渡り上手なのに比べ、将門はまっすぐな正義漢で権力者への心づけなどが下手だった」
と描かれることが多いようです。案外それが事実かもしれません。
このとき、将門は腐敗した中央政府のありように憤りを感じ、それが後の反乱のきっかけとなったともいわれています。確かに、改革意欲旺盛だった菅原道真も藤原時平ももはや故人であり、この頃、本気で社会課題を解決しようとする政治家は不在だったように思われます。
将門は帰郷後、平良兼の娘を娶りました。この女性の名は伝わっていませんが、将門にとっては従妹ということになります。この時点では将門家と良兼家の関係は悪くはなかったということでしょう。
承平5(935)年。将門は常陸大掾を務める源護(みなもとのまもる)一家と対立し、源護の子である
・長男・源扶(みなもとのたすく:?~935)
・次男・源隆(みなもとのたかし:?~935)
・三男・源繁(みなもとのしげる:?~935)
と抗争を始めました。その原因は不明ですが、将門記には「女論のため」とあります。平良兼の娘を誰が娶るかを巡って争ったとみられています。
源護の娘3人がそれぞれ平国香・良兼・良正に嫁いでいたことから、その縁によって平国香は源護側に味方してしまいます。将門は一族の長老である国香を敵に回し、一族の中で孤立した状態で源氏と戦わねばならなかったのです。
ちなみに大河ドラマ『風と雲と虹と』では、主人公・将門の土地を悪辣な策謀家である伯父・国香が横領したという設定になっており、あくまで将門を正義の志を持った男として描いています。確かに、その後の将門を見ると極めて正義感が強く太っ腹な人物像が浮かんで来ますので、国香側に非があった可能性もあるでしょう。
同年2月、野本(茨城県筑西市)において、平国香・源扶・隆・繁の4名が将門に対決を挑みました。この戦いでは将門が圧倒的な勝利を収め、なんと平国香・源扶・隆・繁の4名全員が敗死してしまいます。将門は異様に強かったのです。

