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日本人の物語00960【南北朝初期】神皇正統記 童蒙に示す

本稿を書くために神皇正統記の現代語訳を買って読みました。絶版のため値上がりしていて、五千円もしました。この連載は結構お金がかかっております笑。

 北畠親房が『神皇正統記』を書いた動機について、親房自身が序文にこうしたためています。
「此の記は去る延元四年秋、或る童蒙(どうもう)に示さんがために、老筆を馳せる所なり」
 つまり、ある「童蒙」に読ませるために書いたというのです。「童蒙」とは「物の道理が分からない子供」といった意味ですが、これが誰を指すのか、研究者の間でも説が分かれているのです。
 これまでの史学界では、「童蒙」は結城親朝を指すという説が有力視されていました。ちょうど親房が親朝に70通もの書状をもって説得を試みていた時期ですから、『神皇正統記』もまた親朝説得のために書かれたのだとしても、不思議はありません。
 しかし、
「武士たる輩、言へば数代の朝敵なり」
というあからさまに武士を見下した表現を含む神皇正統記を、武士である結城親朝宛てに書くだろうかという疑念も生じます。
 そこで近年では、「童蒙」が後村上天皇を指すという説が出てきました。『神皇正統記』が完成した興国4/康永2(1343)年7月時点で後村上天皇は14歳ですから、確かに「童」といってもよさそうです。
 研究者からは
「天皇を崇める北畠親房が、帝に対して『童蒙』などという悪口を言うだろうか」
という反論もあるものの、前述のとおり親房は
「吉野殿上さま(後村上天皇のこと)御幼稚。政事を知ろしめされず」
などと、南朝内部での和平論を切り崩すことすらできない後村上天皇への強烈な不満を訴えており、「童蒙」という言葉でこき下ろすのもあながちあり得ないことではなさそうです。
 なお、『神皇正統記』では皇位継承について
「皇室に『不徳の子孫』が現れれば、正統は移動する」
という独自の思想が語られています。例えば、天智・天武の兄弟のうち当初は天武の子孫が皇位を継承していましたが、称徳天皇が不逞を起こしたため、それ以降は天智の子孫に皇位が移動したというのです。
 親房は後村上天皇に対し、
「現在のところは南朝方が正統であるが、不徳を起こせば皇位は北朝に移動するかもしれない」
と警告しているかのようです。そして親房の懸念通り、南朝はこの先断絶していく運命にあるのです。

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