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日本人の物語01216【南北朝最末期】密通は事実か

今日のお話はもし事実だったら天皇家の一大スキャンダルなのですが、私は信じていません。

 さて、後円融上皇が疑った三条厳子と義満との密通は事実だったのでしょうか。
 義満が厳子に手を出したという証拠は一切なく、上皇の思い込みと思われますが、歴史好きの間ではこの密通説が面白おかしく取り上げられることが多いようです。もし事実だとしたら、厳子が産んだ後小松天皇は天皇家の人間ではないわけで、とんでもないスキャンダルとなるため想像が膨らむのでしょう。
 密通を事実とみる論拠としては、まず義満が人妻に手を出す事例が多いことが挙げられます。中山親雅(なかやまちかまさ:1353~1402)の妻や裏松資康の妻に手を出したケースがありますし、より非倫理的な例としては弟・満詮(みつあきら:1364~1418)の妻である藤原誠子(ふじわらのともこ:?~1426)に手を出したことや、前述の満仁親王の愛妾・小少将を譲り受けたことも挙げられるでしょう。
 もう一つ特筆すべき点は「百王」の話でしょう。古事記に「百ノ王相続き、剣を喫み、蛇を切りて、万ノ神、蕃息りたまひ」とあるように、かつて百代で国が滅亡するとの言い伝えがありました。鎌倉時代の慈円もその著書・愚管抄に
「神の御代は知らず、人代となりて神武天皇の御後、百王と聞こゆる。既に残り少なく、八十四代にもなりにける」
と書いているので、天皇が百代で途絶えるとの思想を信じていた人は中世にもいたようです。そして当時の数え方では、14代と15代の間に神功皇后が入る上、39代弘文天皇と85代仲恭天皇はカウントされないので、まさに後円融天皇が100代目となるのです。
 そして義満はこの百王の伝承について関心を持っていたことが分かっています。吉田神社の神官・吉田兼敦(よしだかねあつ:1368~1408)の日記に、前大納言・坊城俊任(ぼうじょうとしとう:1346~?)との会話が記録されており、その中で俊任が
「先日、御所様(義満)から百王のことを聞きたいとの仰せがあった」
と発言しているのです。
 兼敦は
「百とは単に大きな数という意味で、百そのものを意味するものではない」
と答えており、つまり後円融天皇が100代目だからそこで王朝が交代するとの風説を否定しているのですが、義満が百王を気にしていたということは、
「後円融天皇の次から王朝が変わってもよいのだ」
との認識を持っていた可能性があります。つまり密通によって皇室を乗っ取ろうと画策したかもしれないというわけです。
 可能性は低いですが、仮に後小松天皇が義満の隠し子だったとすると、歴代天皇のうち後小松天皇と称光天皇の二人は天皇家の血を引いていないことになります。(現在の皇室に影響はありません)
 陰謀論の類ですが、有名な話なので一応取り上げておきました。

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