日本人の物語01241【室町/義満期】室町の職制 鎌倉府
・室町幕府のナンバー2が「管領」
・鎌倉府のナンバー2が「関東管領」
なのですが、この前、関東管領を知っているのに管領を知らない人がいたのでびっくりしました。『信長の野望』には関東管領が頻繁に登場する一方で、管領はほとんど登場しないのだそうです。
鎌倉幕府は京に「六波羅探題」という出先機関を有していましたが、逆に室町幕府は鎌倉に「鎌倉府」という出先機関を有しています。そのトップは鎌倉公方であり、ナンバー2は関東管領です。
〇鎌倉公方
鎌倉公方の歴代は次のとおりです。3代目までは既出です。
初代足利基氏: 叔父直義の治世を手本として直義党を優遇しますが、直義失脚後に側近を尊氏党で固められてしまいます(薩埵山体制)。畠山国清の失脚後に薩埵山体制を解体し、逆に直義党の上杉憲顕を関東管領に据えて直義党で周囲を固めました。
2代足利氏満: 小山義政、小田孝朝から領地を召し上げて力をつけていきました。従兄の義満への対抗意識に燃え、康暦の政変では出兵を試みますが関東管領の上杉憲春が諫死してまでそれを止めました。
3代足利満兼: 氏満の子です。今後述べていきますが、氏満と同様に将軍家への強烈な対抗意識から、応永の乱に呼応して挙兵を試みますが断念します。
4代足利持氏: 満兼の子です。これまた幕府に反逆し、永享の乱を起こして敗死します。
5代足利成氏: 持氏の子です。これまた幕府に反逆し、享徳の乱を起こします。
以上のとおり、歴代鎌倉公方は皆、幕府に対する反抗心を持っています。それは幕府が尊氏党で、鎌倉府が直義党で構成されているためでしょう。
〇関東管領
さて、鎌倉公方を支えるのは関東管領です。当初は「関東執事」といって、斯波家長や高師冬が就任していましたが、上杉憲顕以降はその権限が強まり「関東管領」と呼ばれるようになり、その職は上杉家が独占することとなります。この上杉家は「①山内(やまのうち)上杉②犬懸(いぬがけ)上杉③扇谷(おうぎがやつ)上杉」の3家に分かれています。
上杉家は元々藤原氏の庶流であり、丹波国何鹿郡上杉荘(京都府綾部市上杉町)を領したことから上杉姓となりました。鎌倉後期には上杉清子が足利家に嫁ぎ、尊氏・直義を産んだことがきっかけで歴史の表舞台に躍り出ました。
清子の兄に当たる上杉憲房は第一次京都合戦で戦死しましたが、その庶兄の重顕(しげあき)は分家として勢力を持ち続け、③扇谷上杉の祖となりました。
そして憲房の嫡男の憲顕は、初代鎌倉公方・足利基氏の信任を得て権勢を振るい、本家ともいえる①山内上杉の祖となり、憲顕の弟の憲藤(のりふじ:1318~1338)は短命ながら2人の男子を残し、②犬懸上杉の祖となりました。
今後、最も勢いの勝る山内上杉に対して、犬懸上杉や扇谷上杉が対抗していくこととなります。
