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日本人の物語00926【南北朝最初期】臥龍の夢

 さて、越前の新田義貞の動向に話を戻しましょう。義貞は斯波高経らの守る足羽城を攻めようとしているところでしたね。
 斯波高経は
「味方は僅か300騎なのに、義貞の3万騎に囲まれてしまった。もはや千に一つも勝機はないだろう。もはや討ち死に覚悟で城に籠城しよう」
と言って、堀に落とし穴を作り、橋を外して溝を深くして、敵を待ち構えました。
 この足羽城のすぐ近くに藤島庄(福井県福井市)という荘園がありました。その荘園をめぐって、平泉寺(福井県勝山市)の僧たちが高経に
「藤島庄の所有権をめぐっては、当寺と延暦寺とで長年争いが起こっています。もし斯波殿が平泉寺にお味方いただけるならば、寺の若い僧たちを兵として派遣し、城に籠もらせて合戦をさせましょう」
と言ってきました。高経は味方を増やせることを大変喜び、尊氏の了解を得て藤島庄の所有権を認める教書を発出し、平泉寺の僧500人を味方に加えることとなりました。
 味方が増えたとはいえ、義貞の3万騎には及ぶべくもありません。義貞軍の兵の数はさらにその後も膨らみ、誰もが足羽城の命運は尽きたと思ったことでしょう。
 ここで『太平記』は、義貞戦死の伏線エピソードを記しています。
 ある夜、義貞は不思議な夢を見ました。足羽川の川岸と思われる場所で義貞と斯波高経とが向かい合って陣を張っており、数日間戦わずに向き合っていたところ、義貞が突然大蛇に変身しました。これを見た高経は慌てて逃亡したというのです。
 この不思議な夢から覚めた義貞が周囲にこの話をすると、家臣の多くは
「龍とは、雲や雨に乗って天地を動かすものです。高経は雷の響きに驚いて肝を潰したのでしょう。そういうことが起こるという予知夢であり、大変めでたいことです」
と言って喜びあいました。
 ところが、この話を垣根ごしに聞いていた斎藤道猷(さいとうどうこん)という家臣は、ひそかに
「これは全くめでたい御夢ではない。臥龍と呼ばれた諸葛孔明は三国を統一できずに滅びたのであるから、天が凶事を告げているのに違いない」
と述べ、義貞の行く末を案じたといいます。
 延元3/建武5(1338)年閏7月。義貞はいよいよ足羽城に総攻撃をかけようと味方を集めました。いよいよ義貞にとって最後の戦闘となる「藤島の戦い」の始まりです。

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