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日本人の物語00457【平安末期】流人頼朝

 ここから、いよいよ源頼朝による平家打倒を見ていきたいと思います。
 頼朝が13歳のとき、平治の乱によって伊豆に流罪となったことは既に述べました。頼朝は伊豆で、安達盛長(あだちもりなが:1135~1200)ら少数の家人と共に細々と生活していました。
 それから16年が経ち、安元元(1175)年となりました。鬱々とした日々を過ごしていた29歳の頼朝を、平家方の豪族・伊東祐親(いとうすけちか:?~1182)が監視する役割を果たしていました。伊東祐親はその名の通り、現在の静岡県伊東市を領地とする地元の豪族です。
 頼朝はあろうことか、伊東祐親が大番役のため京に行っていた間に、その娘・八重(やえ)と恋仲になってしまいます。大番役とは、上洛して首都警備などの仕事に就くことを言い、当時の在地豪族は1年や2年、領地を留守にすることがあったのです。その間に頼朝は八重を見初めてしまったというわけです。八重は頼朝の子・千鶴丸(せんつるまる)を出産します。
 都から戻ってきた伊東祐親は激怒しました。
「親の知らない婿があろうか。今の世に源氏の流人を婿に取るくらいなら、娘を非人乞食に取らせる方がましだ。平家の咎めを受けたら何とするのか」
と怒鳴ったと記録されています。確かに、平家全盛の世において、源氏の嫡子を監視する役割を担っておきながら、その子を産ませてしまったとあっては一大不祥事でしょう。
 祐親は、産まれたばかりの千鶴丸を川に沈めて殺害してしまいます。
 さらに怒りのおさまらない祐親は、頼朝をも殺そうと追いかけますが、その危難を救ったのは伊東祐親の子・祐清(すけきよ:?~1183)でした。祐清は頼朝を手引きして、伊豆国北条(静岡県伊豆の国市)を拠点とする在地豪族・北条時政(ほうじょうときまさ:1138~1215)のもとに逃亡させました。
 北条時政もまた、平家方の豪族であり、頼朝を監視する役割を担うはずの一族でした。「命は助けてやるが、これ以上余計なことはさせない」というくらいのつもりで匿ったことでしょう。ところが頼朝は、今度は時政の娘・政子(まさこ:1157~1225)と恋仲になってしまいます。ずいぶんと気の多い男だったようです。
 頼朝に捨てられた八重は絶望し、その後治承4(1180)年7月に北条邸にいる頼朝に会おうと伊東から北条にやって来ますが、家人たちに謁見を拒まれ、狩野川(かのがわ)で入水自殺を遂げました。

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