日本人の物語00224【奈良】鑑真来日 5度に渡る失敗
天平15(743)年。鑑真は日本に向けて船を出そうとしますが、渡海を嫌がる弟子が役人に対して
「日本僧の栄叡と普照は海賊だ」
と虚偽の密告をし、渡海を差し止められてしまいました。行きたくないなら辞退すればよいのに、全員を道連れにするとは、なんとも性根の腐った弟子がいたものです。これが1度目の渡日失敗です。
天平16(744)年。今度は妨害されずに船を出すことができたのですが、暴風雨のため明州に流れ着いてしまい、失敗しました。2度目の渡日失敗です。
同年。今度は鑑真の渡日を惜しむ者が密告し、栄叡が逮捕されたため失敗に終わりました。3度目の失敗です。
しかし栄叡は諦めません。監獄の中で病死を装うことにより、うまく脱獄することができました。すごい執念です。
同年。4度目の渡海企図です。
「江蘇からの出航は困難なので、福州から出航しよう」
として福州へ向かいますが、弟子の密告により渡海を差し止められ、またもや失敗に終わりました。
天平20(748)年。5度目の渡海企図です。船は無事に出航しましたが、暴風雨のため海南島に漂着してしまい、またまた失敗に終わりました。
天平勝宝3(751)年。海南島を離れて揚州に戻る途中、栄叡が死去しました。鑑真を日本に連れ帰ることだけに捧げた人生でした。
この頃、鑑真は両眼を失明してしまいます。潮風に当たりすぎたためか、長旅によるストレスからか、よく分かっていません。
このように、5度に渡って渡日に失敗していた鑑真は、天平勝宝5(753)年に遣唐使・藤原清河にめぐり会うのです。
鑑真は清河に自らを連れ帰るよう依頼しますが、唐の玄宗皇帝が鑑真の出国を許さなかったため、清河は鑑真の乗船を拒否しました。日本からの正規の使節が、高僧の密航の手助けをしたことが露見したら大変なことになるでしょう。清河の判断は適切だったと思います。
しかしここで、事情を知った副使の大伴古麻呂が、鑑真を独断で自分の船に乗せることとしました。おそらく清河にも知らせることなく、鑑真は副使の船に乗り込みます。
この偶然が、結果的に鑑真を救うことになるのです。
