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日本人の物語01440【第一尚氏】護佐丸・阿麻和利の乱 討伐

展開が速すぎるのですが、詳しい史料が残っていないのでディテールが描けず、スピーディーな展開になってしまいます。

「阿麻和利が首里に反逆しようとしている」
 この情報を鬼大城はすぐさま百度踏揚に知らせました。百度踏揚はこれを急いで父・尚泰久に知らせることにしました。鬼大城は百度踏揚を背負って首里城に走ります。
 百度踏揚と鬼大城から阿麻和利の反逆を聞いた尚泰久は驚き、今度は阿麻和利を討伐するよう命令しました。討伐軍の大将は鬼大城でした。
 しかし勝連城はあまりに強固な山城でした。鬼大城は弟2人を失うほどの苦戦を強いられ、正面からの戦闘をやめました。鬼大城は作戦を変更して、女装して城内に潜入し、油断している阿麻和利に斬りかかってようやく討ち取ることに成功しました。このあたり、古事記のヤマトタケルの逸話から影響を受けているかもしれません。
 尚泰久は鬼大城に越来城(ごえくじょう:沖縄県沖縄市)を与えた上、百度踏揚を再嫁させました。鬼大城は越来賢雄(ごえくけんゆう)と名乗るようになりました。鬼大城や百度踏揚とは越来時代からの幼馴染で、当初から恋愛関係にあったとの伝承もあります。
 以上が「護佐丸・阿麻和利の乱」の顛末ですが、いかにも怪しい話です。王府を脅かすおそれのある二大有力按司が立て続けに滅ぼされたわけですから、全てが尚泰久の陰謀だったように思えてなりません。
 史書で悪役とされた阿麻和利は勝連では英雄とされ、毎年沖縄県うるま市では中高生による舞台作品『肝高(きむたか)の阿麻和利』が上演されています。肝高とは「気高い」という意味の琉球語で、阿麻和利を表す枕詞のようなものです。うるま市のイベントホールは「きむたかホール」で、勝連城の傍には「あまわりパーク」があり、いかに阿麻和利が地元で慕われているかを示しています。
 尚泰久についても、史書のとおり反乱に脅かされた苦悩の王だったのか、はたまた謀略によって二大勢力を葬った独裁者だったのか、意見が分かれるところです。
 その尚泰久は、殊に仏教を厚く信仰したことでも知られています。京都五山の僧で、当時琉球にやって来ていた芥隠承琥(かいいんしょうこ:?~1495)と出会い、その芥隠承琥の手で多くの寺院を建立させました。尚泰久が生涯で作らせた梵鐘は23個にも及び、相当熱心に信仰していたと考えられます。戦乱で亡くなった人たちを供養する意図があったのかもしれません。
 一方、尚泰久の仏教信仰は明との関係を強固にする政治的意図があったとも考えられ、だとすると護佐丸・阿麻和利を葬った謀略家の香りがします。

誰が悪者なのか分からなくて気持ち悪い話ですが、仕方ないですね。

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