日本人の物語00238【奈良】50代桓武天皇*
天応元(781)年4月3日。光仁天皇は譲位し、山部親王が即位しました。桓武天皇です。
藤原百川の推薦によって、朝鮮系渡来人の血を引く天皇が誕生したのです。もし百川が生きていれば、キングメーカーとして大きな権力を行使したことでしょうが、幸か不幸か、百川は先立つ宝亀10(779)年に病死しており、それ以降は有力な政治家が不在となり、桓武天皇が自ら政務を牛耳るようになるのです。
なお、平成13(2001)年の天皇誕生日に、翌年に予定されていた日韓共催ワールドカップに関連して、明仁天皇(現・上皇)は次のように発言しました。
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」
この発言はなかなかの反響を呼びました。当たり前のことですが、古代の天皇家に日本人の血しか入っていないということはあり得ません。それに真正面から言及して韓国との縁を肯定した天皇の発言は韓国で肯定的に受け止められたのではないかと思います。
さて、桓武天皇即位から間もなく、またもや謀反の計画が発覚します。
かつて、塩焼王の未亡人・不破内親王と遺児・氷上志計志麻呂が謀反を計画したとして流罪となった事件がありました。今回は、その志計志麻呂の弟に当たる氷上川継(ひかみのかわつぎ)が謀反を企んだというのです。
延暦元(782)年閏1月11日。氷上川継の家人が宮中に忍び込んだところを逮捕され、これが契機となって反乱計画が判明し、氷上川継は伊豆国に流罪となりました。母の不破内親王は連座して淡路国に流されました。
不破内親王が流罪となるのはこれが2度目ですね。二人の息子の犯罪に振り回される哀れな生涯でした。
古代史研究家の遠山美都男(とおやまみつお)氏の著作に、『天平の三姉妹』(中公新書)という作品があります。聖武天皇の3人の娘である井上内親王、阿倍内親王、不破内親王の伝記です。
3人のうち、阿倍内親王は孝謙天皇・称徳天皇として権勢を振るった一方、井上内親王と不破内親王は、反逆者として世を去ります。実に対照的な生涯です。
不破内親王については、その夫・塩焼王が藤原仲麻呂と結託した結果、反逆者として殺害されてしまったことから、その間に産まれた2人の子(氷上志計志麻呂と氷上川継)もまた権力を得ようとして反逆を企み、流罪となりました。当時、
「塩焼王の一族は反逆者の血筋」
などと言われ、塩焼王の関係者たちは相当に肩身の狭い思いをしたことでしょう。

