日本人の物語01599【室町/西国/応仁の乱】乱の影響 将軍の凋落
内藤湖南のコメント、ちょっと言い過ぎですよね。話を面白くするために盛るタイプなんでしょうね。
乱の影響がいかに大きかったかについて、歴史学者・内藤湖南は大正10(1921)年の講演においてこう述べています。
「大体、今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれで沢山です。それ以前のことは、外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後は我々の真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知っておれば、それで日本歴史は十分だといっていいのであります」
やや大袈裟なきらいはありますが、乱の前後で日本人の価値観は全く変わってしまったというのです。では、具体的に何が変わったのでしょう。
大きく4点述べていきたいと思います。
①将軍権力の崩壊
まず指摘したいのは、将軍の権力が地に堕ちたという点です。この点、尋尊は文明9(1477)年12月10日の日記にこう記しています。
「天下のことは、めでたいことなど一向にない。近江・美濃・尾張・遠江・三河・飛騨・能登・加賀・越前・大和・河内などは全く将軍の下知に応じず、年貢なども一切進上することがない。しかも紀伊・摂津・越中・和泉はまだ戦乱中で、これも年貢進上などあり得ない。結局将軍の下知が及ぶ国といえば、播磨・備前・美作・備中・備後・伊勢・伊賀・淡路・四国くらいだ。それらも守護が将軍の下知を奉じているだけで、実際にその下知が実施されようとすると守護代や国人たちが一向に承知しない。結局、日本国は全て将軍の下知には応じないということだ」
このように尋尊は、「将軍の命令が履行される国はなくなった」と述べています。実際、西軍の諸将たちは将軍義政に逆らい続けても特段の処罰を受けなかったわけですから、これでは誰も命令に従わないでしょう。
歴史学者の多くは、将軍権力の崩壊をもって戦国時代が到来したものとみなしています。そうなると応仁の乱勃発をもって戦国時代の開始時期と考えてもよいかもしれません。ただ、最近は将軍が引き続き一定の権力を持っていたことを重視する研究もあります。事実、9代将軍義尚と10代将軍義材は応仁の乱の後も将軍権力を取り戻そうと奮闘しており、その試みが挫折する明応の政変(1493年)をもって戦国時代の始期とする説が最有力です。
いずれにせよ、応仁の乱が将軍の地位を転落させたことは間違いないでしょう。
(残り3点は次回に回します。)
歴史検定1級を受けたとき、「明応の政変」を答えさせる記述問題があったのを覚えています。
