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日本人の物語01341【室町/義教期】義教期概観*

新章に入りました。この章はとんでもない将軍が次々と問題を起こしていくので、なかなか面白いと思います。

 ここからは6代将軍義教の治世をまとめていきます。義持が死去した応永35(1428)年1月18日から、嘉吉の乱の主犯の一人である赤松教康が討伐される嘉吉元(1441)年9月28日までです。
 義教は14歳で出家させられ、「義円」と名乗って青蓮院に入室し、その後は天台座主や大僧正をも務めた人物です。仏教界で最高位を極めた人物が征夷大将軍となって世を治めるわけですから、当然に慈悲に満ちた新しい政治が始まるのだろうと誰もが期待したに違いありません。ところが蓋を開けてみると、新たな将軍の治世は「万人恐怖」と呼ばれる地獄絵図でした。
 義教は歴代の為政者の中でも有数の残忍な性格の持ち主でした。永享6(1434)年6月時点の中山定親(なかやまさだちか:1401~1459)の日記『薩戒記』が義教に処罰された人間を数え上げているのですが、それによると
「公卿59名、神官3名、僧侶11名、女房7名」
が処罰されたといいます。義教の死去までの全期間を総計するとこの2倍はいると思われます。
 処罰の原因は施政方針の対立といった政治的なものではなく、「義教に向けてニコッと笑いかけた(それが侮辱と捉えられた)」「酌の仕方が下手だった」「料理がまずかった」といった些細なものばかりです。この程度の話で人々を次々と殺していった権力者の話は、武烈天皇や雄略天皇といった神話時代の例(後世の創作とみられる)がある程度です。一方、義教については同時代の人々によるリアルタイムの史料が多数残っており、間違いなく史実です。
 義教が残忍になっていった原因として、くじ引きで選ばれたことによるコンプレックスを挙げる人もいます。当時、くじ引きは神意を問う方法として知られ、義教は言わば神に選ばれたわけで、むしろそれを誇る発言などもみられました。
 小学館版『少年少女まんが日本の歴史』では、神意を信じない民衆が「いくら何でも将軍をくじ引きで決めるとは」「無責任な話だわ」などと幕府を罵るシーンがありましたが、いろいろな文献を調べてみたところ、どうもそういった批判は見受けられません。当時の民衆も公家もくじが神意であることを疑ってはいなかったし、くじで選ばれた義教を侮る気持ちは持っていなかったようです。ということはつまり、義教がくじ引きで選ばれたことにコンプレックスを持つ可能性も低いといえます。結局、全ては義教のパーソナリティに起因する問題だったのかもしれません。

最近、義教関連の番組をちょくちょく見るようになりました。そのうち大河ドラマのネタにもなるかもしれませんね。(主役ではないでしょうが)

小学館版『少年少女まんが日本の歴史』第9巻より。

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