日本人の物語01020【南北朝前期】薬師寺公義の遁世
尊氏はとにかく運が良い人で、幸運と人望だけで駆け上がっていった人という印象です。
尊氏軍一同が切腹を決意したところで、城門を荒っぽく叩く音が聞こえてきました。人々が「誰か」と尋ねると、昨夜逃げたはずの命鶴丸の声で、
「事は和睦と決しました。皆様、早まって自害なさるな」
との叫びが聞こえてきます。
急いで城門を開けると、命鶴丸は尊氏の前に参じて、
「昨夜、事の次第も申さずに退出したため、先に逃げたとお思いだったでしょう。味方の軍勢が士気を失っている様子だったので、これでは戦っても勝てないだろうと思い、私は畠山国清のところに向かい、和睦交渉をいたしました。相手が言うには『直義殿もただ和睦を願っている。直義殿はただ執事兄弟の不心得を思い知らせたかっただけのことであり、しつこく討伐するつもりはない。兄弟の仲、主従の縁は大事なものだ』とのことです。将軍、ここは和睦をいたしましょう」
と述べました。ここまで言われてはと、尊氏も師直もその夜のうちに自害するのはやめよう、と話し合いました。
師直は、
「三条殿(直義)は、実の兄のことを憎いとはお思いでないだろう。しかし私のことは今でも憎んでいるに違いない。出家して参上するか、はたまた四国へ逃げようか」
と言いながら師泰と相談していたところ、薬師寺公義が、
「なぜそんなに気弱なことをおっしゃるのです。かつて為義が自らの罪を謝るために出家して参上したところ、子の義朝はあえて首を刎ねました。たとえ出家したとしても、三条殿の怒りを消すことはできないでしょう。せっかく剃髪したのに、その墨染めの衣の袖を血で染めて殺されるとは、何とも残念なことではありませんか。一方、四国へ逃げることもよいとは思えません。四国を治める細川顕氏も既に三条殿の味方をしています。かくなる上は、討ち死に覚悟で戦を仕掛けることが最善でしょう」
と決死の覚悟で戦うべしと主張しました。
しかし師直・師泰兄弟はぼんやりとして、やはり降参して出家しようとぼやくばかりです。薬師寺公義は涙を流して
「ああ、運の尽きた人の有様ほど見苦しいものはない。私はこの人と死んでも何らの功名も残せないだろう。憂き世を捨てて戦死した者たちの後世を弔った方がよかろう」
と腹を決めて、
「取ればうし 取らねば人の 数ならず 捨つべき物は 弓矢なりけり」
(弓矢を取って戦えばいずれ死ぬことになる。とはいえ取らねば人の数にも入らぬ。ならば弓矢を捨てて出家するほかない)
と詠んで、自ら髷を切って出家し、墨染めの姿で高野山へと向かい、そのまま隠棲の身となりました。
