日本人の物語01147【南北朝後期】上杉憲顕の復権
最近は可能な限りkindleで本を買うことにしているのですが、歴史の本は電子化されていないケースも多く、紙の本も相変わらず増える一方です。
鎌倉公方・基氏を支えるべき関東執事・畠山国清が離反したことは既に述べました。基氏はその後任に高師有を据えたのですが、その師有は病のため1年程度でその職を退きました。復習のため、これまでの歴代関東執事をまとめておきましょう。
1 斯波家長(在職1336~1337)
2 上杉憲顕(在職1338)
3 高師冬(在職1339~1344)
4 上杉憲顕(在職1340~1351)
5 高重茂(在職1344~1349)
6 高師冬(在職1350~1351)
7 畠山国清(在職1353~1361)
8 高師有(在職1362~1363)
在職期間に重複があるのは、関東執事を2人体制としていた時期があるためです。
さて、基氏は高師有の病を知り、その後任にかねてより考えていた人物を据えます。なんと直義党の上杉憲顕です。
前述のとおり、基氏は9歳で鎌倉に下向し、当初は関東執事・上杉憲顕の補佐を受けていたのですが、直義党であった憲顕は観応の擾乱で失脚して信濃国に落ち延び、そのまま謹慎処分となっていました。しかし基氏はこの憲顕をずっと信頼していたらしく、ちょうど国清が失脚したのを契機として憲顕を復権させ、再度登用しようとしたのです。
正平18/貞治2(1363)年3月24日に基氏が憲顕に送った書状が現存しており、米沢市上杉博物館に所蔵されています。そこにはこう書かれています。
「関東管領への復職の件、京都(将軍義詮のこと)からたびたび仰せを受けているが、調整が難しかったので延び延びになってしまった。今ようやく問題なくなったので、すぐに鎌倉に参上されたい。なんとしても失態のないようにせよ。とにかく私は天下泰平のためにこう述べているのだ。もし貴殿の鎌倉到着が遅くなってしまったら、反対する者が出てくるだろう。そなたの復職はかねてから念願していることであり、実現すれば大変喜ばしいことである」
つまり基氏は憲顕復職のためあちこちに調整を行っており、特に幕府の説得に手間取っていたようです。しかも、憲顕の復権がトラブルを招くおそれがあることを十分理解した上で、それでも復職を望んでいることが読み取れます。
ちなみに室町後期に編纂された『塵塚物語』には、上杉憲顕は土地争いを仲裁するために必要な山野の測量を見事にやってのけたとのエピソードがあり、かなりの知恵者だったようです。基氏がこれほどまでに憲顕を登用したがるのも頷けます。
