日本人の物語01261【室町/義満期】難太平記と今川状
『難太平記』の現代語訳が出版されておらず、note上で現代語訳を載せてくださっている「芝蘭堂」さんの有料コンテンツを購入して勉強しました。
この場をお借りして芝蘭堂さんに感謝申し上げます。
難太平記|芝蘭堂〜軍記で読む南北朝・室町
堀越で余生を送る了俊は、執筆活動を開始しました。
特に有名な作品は『難太平記』と呼ばれる回顧録です。太平記の内容に苦言を呈していることから、後世の人間が付けたタイトルです。中身を見ていくと、「父・今川範国は南北朝動乱の数々の戦いで活躍したにもかかわらず、これが描かれていない」と愚痴をこぼす場面が多く、今川家の名誉回復のために書かれたものだと分かります。さらに「大内義弘から反乱に誘われたが、私は断った」との記述があるなど、自らの責任を回避する内容もあります。実際には義弘の盟友にして鎌倉府に程近い駿河を領有する了俊が仲介したからこそ、大内義弘と足利満兼が連絡を取り合うことができたのでしょう。
このように『難太平記』は全ての記述に信頼を置くことはできないものの、当事者の口から語られている極めて貴重な史料と言えます。
了俊の書いた史料としてもう一つ有名なのが、応永19(1412)年2月に弟の仲秋に対して書いた『今川状』と呼ばれる書状です。23箇条からなる教訓状で、江戸時代には子弟教育に用いられ、ひどく有名になりました。いくつか紹介しましょう。
「学問に暗くては、戦いにも勝利することはできない。文武両道に励まねばならない」
文武両道を地で行く了俊らしい言葉です。
「財力を無視した贅沢や、逆に質素すぎる暮らしはするな」
贅沢を禁じる格言は多いですが、逆に質素すぎる暮らしを禁じるのは珍しいですね。分相応に生きよということでしょう。
「道徳に外れた行いによって富んだものを羨むな。正しい行いによって恵まれぬ環境にある人を軽蔑するな。自分の利益のために他人を蹴落とすな」
今読んでも身につまされる格言です。甥の泰範に蹴落とされた恨みがあったはずですが、自らはそのような見苦しいことはしないと言うのです。
「武具や服装について、自分だけ贅沢なものを着て、家来に見苦しいものを着せるようなことはするな」
利己主義を戒めるものです。
「領国に関所を設け、往来する旅人を悩ませるな」
後の楽市楽座に通じる商業重視の考え方で、今川義元の時代まで引き継がれる政策です。
「自分より優れた友を好み、自分より劣った者は好むな。ただし厳しく人を選り好みしてはならない。人々から慕われるようでないと万事うまくいかない」
常に自分を高めようとする姿勢が表れています。
このように今川状は優れた道徳教科書となっており、江戸時代の武士たちに好まれたのも頷けます。了俊はその後、応永27(1420)年8月28日に死去しました。94歳の長命でした。
