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日本人の物語01522【室町/東国/享徳の乱】東常縁と古今伝授*

岐阜県郡上市に旅行してきたことをやっと今回ご披露できます!

 さて、千葉家の東常縁の活躍を見てきました。東常縁は千葉家の内戦に対して上杉方を支援するために送り込まれたわけですが、実は武士というより歌人として著名な人物です。彼は「古今伝授」の担い手として日本史教科書にも取り上げられています。
 古今伝授とは、古今和歌集の歌の解釈について、御子左家(みこひだりけ)が代々語り継いできた秘伝です。その中には、文書に書き起こすことが禁じられ、口伝のみで語り継がれた部分もあるといいます。
 しかし御子左為遠が大饗の儀式に遅刻したことが原因で義満に叱責され、翌月に病死した(01207回参照)ことを機に御子左家は没落し、さらに為遠の子・為衡(ためひら)が子を持たぬまま病没したため断絶してしまいました。
 幸いなことに、御子左家は断絶以前に「二条派」と呼ばれる一大歌壇を築いており、他の藤原一族や僧侶たちの中に優れた歌人を多数生み出していました。その中で二条為世(にじょうためよ:1250~1338)が古今伝授を受けており、その後も
「二条為世→頓阿(とんあ:1289~1372)→経賢(けいけん)→尭尋(ぎょうじん:?~1412)→尭孝(ぎょうこう:1391~1455)」
といった具合に、連綿と師匠から弟子に語り継がれていきました。
 そして尭孝に師事して歌を学んだのが、東常縁でした。
 尭孝が享徳4(1455)年7月5日に死去すると、古今伝授の担い手は東常縁だけになってしまいました。その東常縁が千葉家の内戦に駆り出されたのです。東常縁がいかに馬加家と戦ったかは既に見てきましたが、もし戦死していれば古今伝授はここで途絶えたわけで、危ないところでした。
 その後、文明5/享徳22(1473)年4月18日に、連歌師の飯尾宗祇(いのおそうぎ:1421~1502)が東常縁から古今伝授を受けました。これ以降は宗祇が様々な人々に伝授し、受け継ぐ者が増えたものの、戦国時代にはまた細川幽斎一人になってしまい、断絶の危機に陥ります。細川幽斎については古今伝授が戦の勝敗に影響した「田辺城の戦い」という珍しいエピソードがあり、だいぶ後で取り上げることになるでしょう。
 このように古今伝授は平安時代から代々語り継がれてきたものですが、実際には東常縁と飯尾宗祇が整えた部分が大きいともいわれています。現在は一部文書に残されたものが公開されており、研究論文も発表され、秘伝ではなくなりました。
 東常縁の地元である篠脇城跡(岐阜県郡上市)には「古今伝授の里フィールドミュージアム」があり、古今伝授をテーマとした和歌の歴史が展示されています。

細川幽斎の田辺城の戦い、早く書きたいんですが一体いつ取り上げることになるやら。

古今伝授の里フィールドミュージアム。広過ぎて全部は見られないが、「東氏記念館」と「和歌文学館」は見た方が良い。なお、古今伝授してもらうことは出来なさそう。2025年8月2日撮影。
古今和歌集をテーマにした「和歌文学館」はかなりしゃれた作り。2025年8月2日撮影。

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