日本人の物語00215【奈良】臣籍降下とは何か
「葛城王が臣籍降下して橘諸兄となった」という話題が出たところで、今後たびたび登場する「臣籍降下」について詳しく説明しておきましょう。
皇族は、屋敷の維持にしても、舎人(とねり:身の回りの雑用を行う職員)の雇用にしても、移動する際の行列にしても、存在するだけで多くの費用がかかります。皇族の数があまりに増えてくると、財政を圧迫するようになるわけです。
そこで皇族の増加に歯止めをかけるべく行われたのが臣籍降下でした。皇族が「皇籍」から離脱して、天皇の臣下になって「臣籍」を得るわけです。
臣籍降下の最初の例が橘諸兄でしたが、これ以降、相当な人数の皇族が次々と臣籍に降下していきます。そのうち最も有名なのが平氏と源氏です。
平氏の始まりは、桓武天皇(かんむてんのう:737~806)の三男・葛原親王(かずらわらしんのう:786~853)が、長男の高棟王(たかむねおう:804~867)に平の姓を与えて臣籍降下させ、「平高棟」と名乗らせたのが最初です。その後、葛原親王は三男の高望王(たかもちおう)も同様に臣籍降下させて「平高望」と名乗らせ、この子孫から有名な平清盛が出ることになります。この桓武天皇に始まる平氏を「桓武平氏」と呼びます。
ただし、平氏は全て桓武天皇に始まるわけではなく、その後、仁明天皇から始まる「仁明平氏」、文徳天皇から始まる「文徳平氏」なども生まれていきます。
一方、源氏の始まりは、23人もの男子をもうけた子だくさんの嵯峨天皇(さがてんのう:786~842)が、そのうち17人の男子に源氏姓を与えて臣籍降下させたことでした。彼らは「嵯峨源氏」と呼ばれます。
その後も多くの天皇が子や孫に源氏を名乗らせて臣籍降下させたため、「清和源氏」「宇多源氏」「村上源氏」など、多くの源氏が生まれました。特に有名なのが清和源氏で、ここからあの有名な源頼朝が生まれることになります。
してみれば、平氏も源氏も、天皇家の分家から生まれた者たちであって、桓武天皇なり清和天皇なりの男系子孫なわけです。平氏や源氏は、アメノコヤネ(00072回及び00073回参照)を祖先に持つ藤原家に比べ、天皇に近しい血族であるにもかかわらず、藤原家よりも家格を低く設定され、平安後期には
「貴族(藤原氏)に卑下される武士(平氏・源氏)」
という構図が出来上がっているわけで、何だか不思議な気がしますね。
今後、歴史上に名を残す名家の多くは、元を辿ると臣籍降下した元皇族です。どの家柄がどの天皇につながっているのか、調べてみるとなかなか楽しいですよ。
