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日本人の物語01422【三山】天孫王朝

まるで外国の歴史を見ているようで、なかなか面白いです。

 琉球王国の公式歴史書『中山世譜』は、琉球の始まりについてこう伝えています。
「天地の始まりは混沌として、陰陽清濁の区別がなかった。やがて両極に分かれ、清いものは陽となり、濁ったものは陰となった。ここから天地の位置が定まり、人物が生じた。はじめ、一男一女が大嵐によって産まれた。男性はたくましく女を懐かせ、女は素直で男に従った。月日が経っておのずから夫婦の道が開かれ、人倫の道が始まった」
 古事記の冒頭とよく似ています。古事記を参考にしたのかもしれませんし、あるいは神話の始まりはどこも似たような内容になるのかもしれません。
 最初に産まれた1男1女が、古事記におけるイザナギとイザナミのような存在なのでしょう。しかし彼らに名前はなく、ここから彼らが産んだ子供たちの紹介が始まります。
「三男二女が産まれ、一男は王の始めで天孫氏といった。二男は按司(あじ)の始めである。三男は民草(たみくさ)の始めである。一女は君々(きみきみ)の始めで、二女は祝々(のろのろ)の始めである。かくして五倫が備わり、大道が始まった」
 長男は王となり、次男は按司(領主)となり、三男が平民となったというわけです。一方、長女は君々となり、次女は祝々となったというわけですが、君々と祝々はいずれも女性の神官のことで、君々の方が身分が上位です。どうやら、琉球に生きる者は全てこの2人の神の子孫のようです。
 その後、『中山世譜』は様々な神々の名や役割を紹介しつつ、
「神の子孫である天孫氏が王に就き、代々その子孫が王位を継承し、首里城(沖縄県那覇市)を拠点として1万7800年に渡って国を治めた」
と記しています。王が神の子孫であることを王権の根拠としている点は日本の天皇と共通していますね。
 13世紀、この天孫王朝の25代国王・思金松兼(おみかねまつがに)のときに、徳が衰え、政治が堕落し、按司の多くが背いたといいます。ここに利勇(りゆう)という逆臣が登場して、隙に乗じて主君を毒殺し、王位を奪ってしまいます。こうして最初の王朝は滅んでしまいました。
 首里城の築城時期は不明ですが、琉球の王都が浦添(沖縄県浦添市)から首里に移ったのは15世紀の出来事であり、さすがに1万7800年というのは信用できる記述ではないでしょう。また、天孫王朝自体、その国王の名前も事績も伝わっておらず、実在する王朝とは考えられていません。
 ともあれ、天孫王朝が乱れに乱れ、琉球最初の王朝交代が起こるという歴史書の記述を追いかけていきましょう。

もし「1万7800年前から王朝があった」という伝説を鵜呑みにするならば、紀元前660年に即位したといわれる神武天皇よりも前ということになりますね。

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