日本人の物語00320【平安中期】実資の日記『小右記』*
以前も述べたように、この時代に起こった出来事の多くは藤原実資の日記『小右記』の記述に頼っています。ここで、藤原実資というのがどういう人物だったのか、簡単に紹介しておきましょう。
実資を一言で言い表すならば、
「有職故実に精通した当代一流の学識人」
といえるでしょう。とにかく儀式に精通しており、多くの皇族・貴族から一目置かれていたようです。
実資の日記のうち、永延2(988)年2月28日の稿にこのような記載があります。
「本日、除目(人事異動)が行われ、藤原誠信(ふじわらのさねのぶ:964~1001)が参議に任じられた。私の方が前任であったはずなのに、誠信は私を超えて昇進したことになる。道理がないとはこのことだ」
実資は、自分より下にいたはずの誠信が自分を追い越して昇進したことを愚痴っています。実資は天皇の最側近に当たる「蔵人頭」を天元4(981)年からずっと務めており、円融・花山・一条と実に3代の天皇に仕え続けていました。
現代風に言うと、社長の信頼が厚すぎたために社長室長を長年務めさせられ、自分より入社の遅い社員が先に部長に昇進してしまったようなものです。それほどまでに実務に秀でていたということでしょう。
事実、実資の日記は様々な儀式のハウツーが詰まっており、後世、多くの貴族たちが『小右記』を読もうと躍起になったといいます。
例えば、永久2(1114)年3月29日、藤原宗忠(ふじわらのむねただ:1062~1141)が先祖の日記を大量に所持していると聞いた白河法皇が、宗忠に
「読みたいから貸してほしい」
と申し入れ、宗忠が
「構いません。ただし、私が所持している中に実資殿の日記は含まれておりませんが、それでもよろしいでしょうか」
とわざわざ実資の名を記しているほどです。藤原氏の歴代公卿の日記の中でも、実資の日記には別格の価値があったということが分かります。
ちなみに『小右記』の長元2(1029)年9月24日の記述は、
「関白殿と抱いて眠る夢を見た。私の陰茎は木のようになっていた」
などという性的なもので、これも含めて子孫に読まれているというのは実資にとって不本意なことかもしれません。

