日本人の物語00449【平安末期】長谷部信連の活躍
以仁王を捕縛するために遣わされたのは、平家方の源光長(みなもとのみつなが:?~1184)という武将でした。
乗馬のまま館に乗り込んだ光長は、
「天下を乱す企みがあると聞き、検非違使別当の命を受けて光長ここにお迎えに参った。速やかにお出ましあるべし」
と叫びました。
待ち受けていた長谷部信連は、
「ここは上皇様の第三皇子の館であるぞ。馬にて乗り入れるとは何事だ」
と叫んで太刀を抜いて駆け出します。
平家方は50人ほどの兵がいるにもかかわらず、信連はたった一人で木の葉を散らすように敵兵たちをなぎ倒していきます。
しかし信連の太刀は大勢を斬りまくっているうちに徐々に曲がっていき、遂に鍔元からポキリと折れてしまいました。もはやこれまでと覚悟を決めた信連は自害しようとしますが、自害のための刀もありません。
座り込んだ信連は
「太刀が折れた今、もはや勝負はついた。我はと思う者は討ち取ってみよ」
と叫びますが、平家方の兵たちは「太刀がないというのは嘘だろう」と思い、怖がって近づきません。遠くから矢を浴びせてくるばかりです。信連は矢傷を負って遂に生け捕りにされてしまいました。
平家の屋敷に護送された信連は、宗盛の尋問を受けます。宗盛は以仁王の居場所を聞き出そうとしますが、信連は終始堂々たる態度を貫き、
「私に何の罪があるというのか。夜中に鎧武者が屋敷の中に乱入したというのに、武士たる者がこれを迎え討たずにいられるものか」
と反論しました。
腹を立てた宗盛は信連を斬首しようとしますが、周囲の者があまりに助命を乞うので、やむなく入牢に留めることとしました。
その後、信連はずっと獄に留め置かれ、源平の合戦に参加することはありませんでした。平家が滅んだのちに頼朝に召し出され、能登国大屋(石川県輪島市)に領地をもらったと伝えられています。
