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日本人の物語00587【鎌倉前期】栄西と臨済宗 鎌倉五山

 建仁2(1202)年、頼家の庇護を受けた禅僧・栄西(えいさい:1141~1215)は、京に建仁寺を建立しました。ここで栄西の生涯について紹介しましょう。
 栄西は永治元(1141)年4月20日に、吉備津神社(きびつじんじゃ:岡山県岡山市)の権禰宜の子として産まれました。鎌倉新仏教の一つを創始した僧が神社に産まれたとはひどく意外なことですが、この時代には神道と仏教はさほど厳密に区別されていなかったようです。
 久寿元(1154)年に比叡山延暦寺で出家し、これ以降天台宗の密教を学び、仁安3(1168)年4月には平家の援助を受けて南宋に留学に赴きました。この南宋で全盛期を迎えていた禅宗の一つ「臨済宗」と出会います。
 帰国した栄西は九州で布教を始め、その後、京、鎌倉と移り住んで布教したところ、禅は鎌倉武士に大いに受け、幕府の公然たる援助を受けられるようになりました。正治4(1200)年には頼朝一周忌の儀で導師を務め、北条政子が建立した寿福寺の住職に任命され、翌建仁2(1202)年には京に建仁寺を建立することとなります。
 この後も、鎌倉時代は臨済宗が席巻する時代となりました。鎌倉には幕府の庇護の下、「鎌倉五山」と呼ばれる臨済宗に寺院が立ち並ぶこととなります。
・第1位: 建長寺 建長5(1253)年創建
・第2位: 円覚寺 弘安5(1282)年創建
・第3位: 寿福寺 正治2(1200)年創建
・第4位: 浄智寺 弘安4(1281)年創建
・第5位: 浄妙寺 文治4(1188)年創建
 これら五つの寺院に順位をつけて「五山」と定めたのは室町時代になってからではないかとの説もありますが、いずれにせよ鎌倉幕府は臨済宗を保護し、後述する日蓮宗をひどく迫害していました。
 栄西の業績は、臨済宗を南宋から輸入しただけに留まりません。茶の種を持ち帰り、栽培を始めたのも栄西なのです。
 栄西は九州で布教中に茶の栽培を本格的に開始し、『喫茶養生記』という茶の効用や製法を記した著書を残し、日本の貴族、武士、庶民にも茶を飲む習慣を広めていきました。
 栄西は建保3(1215)年に74歳で死去しますが、その生涯は鎌倉・室町時代を通して禅の普及に大いに影響を与えました。

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