日本人の物語01438【第一尚氏】阿麻和利登場
これまで製作された「琉球歴史ドラマ」は『尚巴志』『尚円王』『阿麻和利』の3作でした。国王以外で主人公になったのは阿麻和利だけで、それほど人気の人物ということですね。
さて、「護佐丸・阿麻和利の乱」のもう一人の主役である阿麻和利について説明しておきましょう。阿麻和利は「阿摩和利」とも表記され、琉球王国の正史『中山世鑑』『中山世譜』の中では逆臣、地元の伝承や歌集『おもろそうし』の中では英雄とされる何とも評価の難しい人物です。
阿麻和利は屋良城(沖縄県嘉手納町)の城主の子として産まれ、当初は加那(かなー)という名でした。7歳になっても歩けない貧弱な子だったため、父によって洞窟に捨てられ、一人で生き延びたとも隠されて育てられたともいわれています。
しかし頭脳は並外れて賢かったらしく、少年時代に蜘蛛の巣を見たことで着想を得て、漁に用いる打ち網を発明したといいます。この打ち網で魚を獲って人々に分け与え、加那は一挙に村の人気者となりました。
屋良にいた加那が、どうして勝連(沖縄県うるま市)に移ったのかは分かっていません。ただ、いつからか勝連按司の茂知附(もちづき)に雇われ、馬の飼料集めの仕事に精を出していました。その仕事ぶりは、茂知附から一目置かれるほどだったといいます。
ところが茂知附は地元で悪評高い暴君でした。茂知附が重税をかけて住民を苦しめていたため、家臣たちは加那にクーデターを持ちかけます。
加那は一計を案じて、百姓たちに松明を持って城に向かって歩くよう指示しました。茂知附はその頃、城内で宴を催していましたが、百姓の行列を敵の軍勢と勘違いして仰天しました。茂知附が軍勢をよく見ようと城壁から身を乗り出したところを、加那は後ろから突き落として殺害します。
茂知附を倒したエピソードにはいろいろなバージョンがあります。酒の献上と見せかけて武器の入った樽を持ち込み、そこから武器を取り出して奇襲したなどの話もあります。
いずれにせよ、茂知附を討った加那は自ら勝連按司の座に就きました。加那は税を減免して農業生産を増やし、日本との貿易を盛んにして大いに勝連を栄えさせました。人々は加那に対して「まるで天から降りてきたかのようだ」と称えて「天降(あまおり)」と呼び、これが訛って「阿麻和利」となりました。実際、勝連城跡からは大量の陶磁器が出土しており、当時の繁栄を物語っています。ちなみに勝連城も世界遺産に登録されています。
このように、1450年代の琉球では、首里城にいる国王を支える按司たちの中で
・座喜味・中城を治める護佐丸
・勝連を治める阿麻和利
の二人が二大勢力だったといえます。この二大勢力がほぼ同時に滅びるのが「護佐丸・阿麻和利の乱」なのです。
茂知附という漢字はともかく、「もちづき」という読みは大和言葉のような響きですね。どういう語源なのか気になります。
