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日本人の物語00780【鎌倉末期】赤松軍の再戦

 元弘3/正慶2(1333)年4月3日。赤松円心・則祐父子は先月に引き続き再び京を襲撃します。
 先月来、勝ち戦の続いている六波羅軍はすっかり自信を取り戻しており、この赤松軍の来襲にも落ち着いて対応しました。法性寺大路・東寺・西七条口の3ヶ所で戦闘が始まりますが、なかなか決着がつきません。
 夕方になった頃、六波羅軍の小早川某と島津某という武士が、
「良い敵を見つけて、華々しく一戦を交えたいものだ」
と言って赤松軍の中に斬り込んでいきました。すると赤松軍の中から4人の兵が進み出てきました。いずれも背丈2メートルを超える大男です。六波羅軍の多くは、その4人を見て恐怖に駆られて退いていきます。
 4人の大男は大音量で、自らを備中国の住人の
・頓宮又次郎(はやみまたじろう:?~1333)
・その子の孫三郎(まごさぶろう:?~1333)
・田中藤九郎(たなかとうくろう:?~1333)
・その舎弟の弥九郎(やくろう:?~1333)
と名乗りました。そして
「我らはこれまで山賊を業として生きてきたが、幸いにこの乱が起こり、恐れ多くも帝の軍勢のお味方に参上した。たとえお味方が負けて退却するとしても、我らは退かないつもりだ。敵の中を割って通り、六波羅殿に直接対面申し上げようと思っている」
と叫びます。
 これを聞いた島津某は家臣たちに向かって、
「日頃聞いていた西国一の怪力とはこの者たちだ。そなたたちはしばらく関わらずに他の敵と戦うがよい。我ら父子三人が向かっていき、進んだり退いたりしながらしばらく悩ませたらきっと討てるだろう。長年稽古した弓を今役に立てなければ、いつ立てるのか」
と言って、たった3騎で4人の大男に近づいていきました。これを見た田中藤九郎は
「勇ましい心意気だ。生け捕ってやろう」
とあざ笑い、金棒を振って近づいて行きます。
 太平記は、こうした名もなき武士たちの活躍についてもしっかりとページを割いて語っています。

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