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日本人の物語01406【信広渡海】元の樺太侵攻

「元が樺太に侵攻した」というのは、現在の日本の領土とは少しも関わりがない話ではありますが、一応アイヌの歴史の一環ということで取り上げておきます。

 本章では、アイヌ民族に対する他民族の進出についてお話ししていくことになります。まずは13世紀の元(モンゴル)による樺太進出です。
 中国元号で中統元(1260)年にモンゴル皇帝に即位したフビライは、次々と他国への侵攻を行い、その領土を拡大していました。至元元(1264)年11月には樺太に侵攻し、先住民アイヌとの戦いを開始しましたが、この戦闘は長期化しました。
 その後、至元8(1271)年11月に国号を「元」と改めたフビライは、至元9(1272)年に征東招討使・アシアラを指揮官とする軍を樺太に派遣しようとしました。しかしアシアラ軍はアムール川最下流域のヌルガンまでは辿り着いたものの、タタール海峡がひどく荒れていたため樺太に渡れず、断念して帰って来ました。
 大陸での戦いにはかなり強いモンゴル人ですが、どうも海の向こうの島国と戦うことには慣れていないようです。樺太に渡ることができなかったばかりか、
・至元11(1274)年の文永の役
・至元18(1281)年の弘安の役
では、格下のはずの日本にも敗れてしまいます。フビライは3度目の日本遠征を考え始めました。
 至元21(1284)年、フビライは新たにライアバチという人物を「征東招討使・都元帥」に任命し、樺太攻略を指示しました。恐らくは樺太を日本侵攻の足掛かりとするためでしょう。この指示を受けて至元23(1286)年には数万人の元軍が樺太に来襲しましたが、それでも樺太は落とせず、戦はひどく長期化しました。
 結局、アイヌが元軍に降伏したのは至大元(1308)年のことでした。しかし不思議なことに、樺太に元の代官が送り込まれたという記録はありませんし、また樺太を占領したならば次に欲しがりそうな北海道への侵攻が行われた形跡もありません。単に樺太アイヌが元に毛皮を上納するようになったというだけです。
 どうも至元31(1294)年にフビライが死去したことで、元は対外侵攻による領土拡大への意欲を失ったようです。樺太と北海道は日本侵攻の糸口という以外には戦略的に無意味な土地と思われていたようですから、日本侵攻を諦めた元は関心を失ったのでしょう。
 なお、樺太からは元軍が築いたと思われる城がいくつか出土しており、樺太に上陸した元軍が長期に渡ってアイヌと戦ったことが考古学的にも裏付けられています。戦いの詳細がほとんど記録されていないのは非常に残念ですね。

城の構造によってどの民族が築いたものかが分かるのだそうです。文献が残っていないため、考古学的アプローチを進めるしかないようです。

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