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日本人の物語01666【室町/西国/六角征伐】延徳改元

長享はかなり短かったですね。この頃は改元をめぐるトラブルが絶えず、改元ネタだけで1日分の投稿が出来上がります。

 長享3(1489)年8月21日。「延徳」への改元がなされました。かつて長享への改元の際も、管領不在のため改元吉書の儀式が実施できず、幕府で新元号を用いるのが遅れたというトラブルがありました(01662回参照)が、今回の改元もトラブル続きでした。
 まず、朝廷が選んだ元号候補について多くの疑義が呈されました。
安永: 「安」は安和・安元・安貞で既に使用されているため不可。
建正: 「建」は建武以来使用しないことになったので不可。
延徳: 「延」は延文3年に尊氏が死去したので武家から反対されるので不可。
 いやはや、難癖とはこのことです。結局「延徳」に対する幕府からの正式な反対はなかったため「延徳」が選ばれました。
 次に朝廷は、改元奉行と年号勘者を選定しなければなりません。その人事案を考えるのは、改元伝奏を務める甘露寺親長です。
 親長が改元奉行に正親町三条実望(おおぎまちさんじょうさねもち:1463~1530)を指名したところ、実望は「熟練しておらず自信がない」との理由で辞退して来ました。続いて親長は中御門宣秀(なかみかどのぶひで:1469~1531)を指名しましたが、同じ理由で辞退されました。困り果てた親長は最終的に広橋守光(ひろはしもりみつ:1471~1526)を指名し、辞退してきたところを必死に説得してどうにか引き受けてもらうことができました。
 一方、年号勘者の選定についても親長はひどく悩まされました。唐橋在治(からはしありはる)に就任を断られた親長は、次に柳原量光(やなぎはらかずみつ:1448~1510)に就任を打診したところ、量光は
・昇進させること
・近江国にある柳原家の所領が武士に押領されたので、これを回復させること
を条件に引き受けると言ってきました。
 親長はどうにかこれを実現させる段取りをつけたのですが、土壇場になって量光は要求をエスカレートさせてきました。ライバルの三条西実隆(さんじょうにしさねたか:1455~1537)の昇進と同じ日付での昇進にしてほしいというのです。つまり時期を遡って昇進させろということで、この要求に親長は頭を抱えました。
 日付を遡及させた昇進は前例がなく、断るほかありません。すると量光は年号勘者就任を辞退してきたので、親長はまた人選を一から始めることになったのです。
 何とか8月21日に改元は実施されましたが、幕府が「改元吉書」の儀式を行おうとすると大御所義政が中風に倒れてしまい、筆を持てない状態になりました。
 結局、幕府は「改元吉書を行わずとも新元号を用いる」との決定をしたため、どうにか改元は無事に終わりました。ここまで混乱した改元は初めてだったかもしれません。

柳原量光というのはなかなか不遜な人物ですね。

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