見出し画像

日本人の物語01654【室町/西国/六角征伐】尼子経久の出雲統一

松本清張の『砂の器』は私の最も好きな日本映画です。

 少し先の話を含みますが、せっかく尼子経久が登場したので、彼が出雲を統一したことについても説明しておきましょう。
 月山富田城から最も至近距離にある国人領主に、三沢為忠(みさわためただ)がいました。この三沢氏は、かつて経久を城から追放した追討軍の主力でした。
 ちなみに三沢の領地は月山富田城の南西にある仁多郡亀滝城(島根県奥出雲町)なのですが、この亀滝というのは現在の島根県奥出雲町亀嵩(かめだけ)に当たり、松本清張の推理小説『砂の器』で「東北弁のカメダ」として登場する有名な場所です。
 尼子経久がいかにして亀滝の三沢氏を葬ったかが、『陰徳太平記』に書かれています。
 経久の家来で山中勝重(やまなかかつしげ)という者がいました。山中は沢田という別の家来を斬り殺したことでお尋ね者となり、経久は怒って山中の妻子や老母を牢に入れました。
 山中は三沢為忠を頼って逃亡し、三沢に匿ってもらい、その後2年もの月日を三沢氏に奉公して過ごしました。そしてある日、三沢為忠にこう述べました。
「私は口論によって沢田を殺しましたが、そのために妻子や老母が収牢されてしまいました。武士たる者、口論で相手を討つくらいのことはよくあることなのに、それをもって家族が捕らえられるとは納得がいきません。月山富田城の中はよく知っているので、三沢殿が経久を討つ手伝いをして、鬱憤を晴らしたいと思います」
 三沢為忠は大変喜び、家臣500人をつけて月山富田城に向かわせました。
 山の中腹まで来たところで山中は
「手引きをするからここで待っていてください」
と言ってどこかに行ったと思いきや、なんと城中から尼子勢千人を連れて攻め寄せてきました。さらに背後からも尼子勢が押し寄せてきて、三沢勢は騙し討ちされたことに気づきます。山中の2年に渡る奉公は演技だったのです。
 結局、三沢勢は200人が討たれ、残る300人は命からがら亀滝城に逃げ帰りました。
 この調略は新田義興謀殺伝説などでも使い古されたエピソードであり、史実かどうかは疑わしいのですが、古文書をみると長享2(1488)年3月に尼子が三沢を倒したこと自体は事実のようです。
 その後も尼子経久は
・三刀屋城(みとやじょう:島根県雲南市)を本拠とする三刀屋氏
・赤穴城(あかなじょう:島根県飯南町)を拠点とする赤穴氏
などを次々と服属させていき、出雲一国の支配者にのし上がりました。

島根県には行ったことがあるものの、神話関連の観光地をめぐっただけで、戦国時代の史跡にはほとんど行かなかった気がします。また回ってみたいものです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集