日本人の物語01508【室町/東国/享徳の乱】個性的な面々
登場人物紹介みたいなページです。
ここで鎌倉府の新しいメンバーを確認しておきましょう。文安6(1449)年7月時点での数え年齢も入れておきます。
鎌倉公方: 足利成氏(12歳)
山内上杉家当主・関東管領: 山内上杉憲忠(17歳)
扇谷上杉家当主: 扇谷上杉持朝(34歳)
越後上杉家当主: 越後上杉房定(19歳)
山内上杉家家宰: 長尾景仲(62歳)
扇谷上杉家家宰: 太田道真(39歳)
改めて整理しますと、鎌倉府のトップは鎌倉公方であり、それを補佐するナンバー2が関東管領です。その関東管領職には、山内上杉家の当主が就くという慣例がありました。
そして上杉家はかなり多くの家に分かれていますが、有力なのは「山内(やまのうち)」「扇谷(おうぎがやつ)」「越後(えちご)」の三家です。山内上杉家と扇谷上杉家の当主はいずれも鎌倉に住み、鎌倉府の運営に深く関わるメンバーです。一方、越後上杉家は代々越後守護を務める家柄なので越後に住んでいます。越後は鎌倉府の管内(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野・伊豆・甲斐・陸奥・出羽)に含まれていないので、本来は鎌倉府とは無関係なのですが、越後上杉家から山内上杉家に養子入りした憲実が関東管領を長く務めたという経緯もあり、鎌倉府の運営に深く関与するようになりました。この時点での当主は越後上杉房定(えちごうえすぎふささだ:1431~1494)で、憲実の甥に当たります。
そして山内・扇谷それぞれの家宰が重要な役割を担っています。
家宰とは本来、家内のやりくりを行う執事のようなものですが、当主が幼いのを良いことに当主代行として振る舞うケースが増えていました。山内家家宰の長尾景仲は鎌倉府のフィクサー的存在で、扇谷家家宰の太田道真(おおたどうしん:1411~1488)もめきめき力をつけていました。
年齢を見て分かるように、この中で実質的に鎌倉府を動かせるのは長尾景仲で、ナンバー2が太田道真です。こうした面々の中に、12歳の成氏は放り込まれたのです。
成氏が鎌倉公方に就任したと聞き、かつて持氏に味方した者たちが次々と鎌倉に集まってきました。持氏の最側近だった水海城(茨城県古河市)主の簗田持助(やなだもちすけ:1422~1482)のほか、岩松持国・一色直清(いっしきなおきよ)といった面々です。彼らは幕府と関東管領(当時は憲実)に敗れた者たちであり、もちろん上杉家を快く思っていません。
後に「享徳の乱」と呼ばれることになる大乱が間近に迫っています。
応仁の乱については実にややこしい対立構造がありましたが、こっちは比較的単純ですね。
