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日本人の物語00175【飛鳥】中臣鎌足登場*

 蘇我氏が専横を極める中、遂に蘇我氏を倒すため立ち上がろうという動きが起こり始めます。「専横を極める」とは、権力をほしいままにすることを意味します。
 ここに、中臣鎌足(なかとみのかまたり:614~669)という男が登場します。中臣氏は蘇我氏、物部氏ほどではありませんが、有力氏族の一つです。鎌足は嫡男として生まれ、唐帰りの旻の塾で学びました。このとき同窓生に蘇我入鹿がいました。
 旻は
「私の塾で学ぶ者のうち、入鹿ほど優秀な者はいない」
と言ったと伝えられていますから、鎌足より入鹿の方が成績が良かったのでしょう。
 また、日本書紀には
「入鹿は常に鎌足にだけは礼儀正しかったので、皆が不思議に思った」
との記述があります。少なくとも青年時代においては、入鹿と鎌足の関係は悪くはなかったようです。
 そういえば、平成17(2005)年に放映されたNHKのドラマ『大化改新』は、
「岡田准一演じる中臣鎌足と、渡部篤郎演じる蘇我入鹿が実は親友だった」
という設定で製作されています。あながちあり得ないことではなさそうですね。
 入鹿が山背大兄王を滅ぼすと、鎌足は蘇我父子の専横に憤り、皇族を推戴して蘇我を除こうと決意しました。自分一人で蘇我氏を討ったとしても、誰もついて来てくれないでしょうから、誰か皇族をかつごうと思ったのでしょう。
 皇極天皇3(644)年1月1日。中臣鎌足に「錦冠(きんかん)」の位が授けられましたが、鎌足はこれを辞退して三島(大阪府高槻市)に退きました。既に蘇我氏を打倒しようと考えていたため、蘇我氏からの授冠を断ったと考えられます。
 さて、鎌足にとって一番の問題は、皇族のうち誰を推戴すべきかということです。鎌足はこの問題に対して非常に慎重でした。
 例えば、こんなエピソードがあります。
 鎌足が、軽皇子(かるのみこ:後の孝徳天皇:皇極天皇の弟:596~654)を訪問したときのことです。鎌足が
「あなたは天皇の器だ」
と言うと、軽皇子はひどく喜びました。これを見た鎌足は、軽皇子への接近をやめたというのです。これで喜ぶようでは、天皇の器ではないということなのでしょう。
 軽皇子というだけあって、気持ちが軽すぎたということですね。鎌足の人物チェックは実に厳しいものがあります。
 さて、軽皇子に幻滅した鎌足は、中大兄皇子に近づくことになります。

飛鳥を車で走っていたら見つけた鎌足館という建物。鎌足が産まれた地らしいが、いかんせん入口も営業しているか否かも分からず、入れなかった。2026年5月5日撮影。

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