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日本人の物語01443【第一尚氏】第一尚氏総括

蝦夷史・琉球史を取り上げてきましたが、どちらもamazonで入手可能な参考文献が少なくて苦労しました。沖縄の図書館や古書店に行けばいろいろ入手できるものがあるかもしれませんが。

 宣徳4(1429)年から成化6(1469)年まで、第一尚氏の時代を見てきました。
 尚巴志による琉球統一から僅か40年で尚巴志の血統は途絶えてしまいました。この間、めまぐるしく国王が交代し、政治は安定しませんでした。その原因は国王にあったのか、はたまた護佐丸や阿麻和利といった有力按司たちにあったのか定かではありません。
 いかんせん、第一尚氏の時代の史料はあまりに少なすぎます。「志魯・布里の乱」については何も分かりませんし、「護佐丸・阿麻和利の乱」についても、最も古い史料ですら乱の200年後に書かれたもので、信頼できません。特に琉球王国の公式歴史書は、王府の正当性を主張するために阿麻和利を悪役に仕立て上げており、ストーリーも違和感だらけのものになっています。
 また、『球陽』『中山世譜』『中山世鑑』といった史書が編纂された時代には、護佐丸と越来賢雄の子孫が王府で活躍していました。一方、阿麻和利には子孫がおらず、いくら悪く描いても問題なかったのです。全ての悪事の原因を阿麻和利一人に集中させているのはそのためでしょう。
 一方、正史と全く異なる歴史が記録されているのが、『おもろそうし』です。「おもろ」とは「思い」という日本語と同じ意味で、「草紙」は「お話」という意味です。つまり「おもろそうし」は人々の思いを乗せた詩を集めたもので、16~17世紀にかけて琉球王府が編纂したものなのです。
 『おもろそうし』第16巻には
「勝連の阿麻和利 聞ゑ阿麻和利や 大国の鳴響(とよ)み 肝高の阿麻和利」
といった阿麻和利を称える歌があり、他にも様々な歴史上の人物が登場します。断片的なものばかりで、史実を伝える史料ではないものの、それぞれの人物に対する民の思いが詰まっており、正史の記録とは異なる史実があったのかもしれない、と推察する根拠の一つとなり得ます。
 それにしても、この時代の琉球王国は日本よりも明との結びつきの方が強かったことがよく分かります。国相という王国ナンバー2の座に王茂や懐機といった明人が就任していますし、正史においても明の元号が用いられ、日本の元号はほとんど出てきません。
 琉球が日本との結びつきを深め、明と日本の両方に服属するようになるのは江戸時代初期のことであり、それ以前の琉球史はまるで外国の歴史を読んでいるかのようです。
 これ以降、本稿は本州の歴史に戻ります。戦国時代が終わったら再び琉球史に戻ってくる予定です。

「最も古い史料ですら乱の200年後に書かれたもの」と自分で書いていて驚いたのですが、文献の成立年代で考えると「本土の歴史でいうところの日本書紀上の大化の改新の記述」よりも信頼性が劣るということになりますね。

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