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日本人の物語01372【室町/義教期】料理がまずい

料理がまずいだけで殺される時代です。

 日記に「天魔の所行」「万人恐怖」などと密かに義教の悪口を書いている伏見宮貞成親王ですが、相変わらず義教には好かれています。後花園天皇の父としての格をもって貞成親王を処遇したい義教は、永享7(1435)年8月6日、使者・正親町三条実雅を派遣して
「洛中に御所を建てて献上したいが、伏見から洛中にお移りいただくのはどうか」
と打診してきました。確かに貞成親王の住む伏見は現在でこそ京都市内ではありますが、当時は洛外とみなされている都の外れであり、何かと不便です。
 義教は本来は、仙洞御所(上皇の住まいのこと)に貞成親王を住まわせたかったようですが、それでは後小松上皇の遺言に反することになってしまうので、隣に別の御所を建てて住まわせることを計画したようです。この知らせを聞いた貞成親王は大いに喜びました。
 ところが、御所の完成を待っている間、悲しい知らせもありました。貞成親王の近習である田向経良が別れの挨拶にやって来たのです。
 田向経良といえば、かつて義教の右大将拝賀の儀に参加しなかったことを根に持たれ、罷免された人物です。その後も義教の怒りは解けていないらしく、
「将軍の不興を買ったまま貞成様にお仕えすれば迷惑をかけるので、山城国の農村に蟄居いたします」
というのです。貞成親王はひどく悲しみながらも
「不憫ではあるが、将軍の怒りがすさまじいので私にはどうにもできない」
と日記に記しました。
 結局、貞成親王は9月19日に洛中に移り、新たに完成した御所に住み始めたわけですが、喜びと恐怖、半々だったでしょう。
 この9月には、義教は伊勢に参詣に行きました。その途中、義教に同行していた料理人が「料理がまずい」と叱責されて京へ追い返されてしまいます。それだけならまだしも、なんと義教が帰洛後に赦免を名目に呼び戻されたところを斬首されたのです。義教は騙し討ちがお好きなようです。
 少々先の話ですが、この流れで紹介しておきましょう。永享9(1437)年2月9日、義教が正親町三条実雅の邸宅を訪問した際、東御方(ひがしのおんかた)という75歳の老女が同行していました。教養に富んだ東御方は義教のお気に入りで、よく一緒に行動していたといいます。
 ところが東御方は、義教からそこにあった唐絵への感想を求められ、うっかりけなしてしまったために将軍御所への出入りを以後禁止されてしまいます。このとき激怒した義教は「金打」をしたとの記録があります。金打とは本来は挨拶や誓いのために刀同士を触れさせて音を立てることですが、ここでは恐らく刀で峰討ちにする行為をいうものと思われます。これまで気に入られていた人物がこの程度のことで罷免されたわけで、一同はひどく驚きました。

最近、義教を再評価する動きがあるらしく、テレビで有識者が「厳しいのは間違いないんだけど、それだけ緊張感を持って仕事してほしいということじゃないですか?(どんな表現だったかうろ覚え)」などと言っているのを見ましたが、料理がまずいだけで殺されるほどの緊張感って仕事に必要ですかねえ・・・。

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