日本人の物語00280【平安前期】古今和歌集編纂
醍醐天皇と藤原時平の信頼関係は固く、この頃、醍醐天皇には時平の妹・藤原穏子(ふじわらのやすこ:885~954)が入内していました。
延喜4(904)年2月10日。醍醐天皇と穏子の間に産まれた保明親王(やすあきらしんのう:903~923)が2歳で立太子しました。藤原氏の血を引く皇族を天皇に据えようとする時平の企みでした。
さて、政治史の話題からは外れてしまうのですが、ここで醍醐天皇の大きな業績を紹介しておかなければなりません。それは、史上初の勅撰和歌集である古今和歌集の編纂です。
延喜5(905)年4月15日、醍醐天皇の命により、
・紀貫之(きのつらゆき:872~945)
・紀友則(きのとものり:845?~907)
・凡河内躬恒(おおこうちのみつね:859?~925?)
らが編纂した古今和歌集が完成しました。
古今和歌集には、紀貫之が『仮名序(かなじょ)』と呼ばれる序文を寄せています。初めて和歌を本格的に論じた歌論とされており、その冒頭は非常に有名なので、長くなりますが引用しておきましょう。
「種を植えればそこから葉っぱが出てくるように、人の心という種を植えれば、言の葉という葉っぱが出てくる。それが和歌なのです。
世の中にある人物、出来事など、心に思ったことを見聞きするにつけ、ふと出てくるものが和歌なのです。
花に鳴くウグイスや、水に住むカエルの声を聞いてごらんなさい。人間だけじゃない。歌を詠まない生き物などこの世にいないということに気付くでしょう。
力を入れることなく天地をも動かし、目に見えない存在である鬼神をもしみじみと感じさせ、男女の関係を仲良くさせることもあり、勇敢な武士の心を慰めたりもする。それが和歌なのです」
貫之の、和歌に対する思い入れが伝わってくる名文です。
ちなみに、この『仮名序』を皮肉った江戸時代の狂歌師がいます。石川雅望(いしかわまさもち:1754~1830)という人物です。彼が詠んだ狂歌は、
「歌よみは 下手こそよけれ 天地(あめつち)の 動き出(いだ)して たまるものかは」
というものです。上手な歌が天地を動かすというのなら、危ないから歌は下手な方がいいというのです。
