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日本人の物語01407【信広渡海】安藤氏の歴史 十三湊

私がかつて歴史検定1級を受験したとき、「十三湊の歴史」というテーマの問題が出題されたのを覚えています。

 元の次は和人(日本人)による進出について触れなければなりません。
 遅くとも13世紀には和人は渡島半島南部に進出し、アイヌ民族との交易によって生計を立てる者も出始めたようですが、まずは十三湊(とさみなと:青森県五所川原市)を拠点にこれら交易を取り仕切っていた安藤氏について紹介していきたいと思います。
 安藤氏は前九年の役で反乱を起こした安倍貞任の子孫を自称しており、古くから藤崎城(青森県藤崎町)を拠点に栄えていました。謀反人の子孫を自称するとは当時としては非常に珍しい事例で、中央政府に逆らう気概を持っていることを誇りとしていたのでしょう。
 文保2(1318)年の蝦夷代官をめぐる安藤季長・季久の争いについては、鎌倉時代の稿で既に説明しました(00726回参照)。その争いには季久が勝利し、その後
・季久の子・師季(もろすえ)
・師季の子・法季(のりすえ)
・法季の子・盛季(もりすえ)
と家督が引き継がれていきました。
 安藤氏は当初は藤崎城を拠点としていたはずですが、盛季はそこから離れた日本海沿いの十三湊にある福島城を拠点に最盛期を形成しており、いずれかの時期に本拠を藤崎から十三湊に移したものと考えられます。
 ちなみに当初十三湊を治めていたのは十三氏(とさし)という氏族で、奥州藤原氏の藤原秀衡の弟・秀栄(ひでひさ)の子孫と自称しています。十三氏は漁業や中継貿易で栄えていたはずですが、どうやら安藤氏に滅ぼされたようです。
 十三湊は、現在は「十三湖(じゅうさんこ)」と呼ばれる湖のほとりです。日本海での漁業の拠点となる良港である上、アイヌ・中国・朝鮮半島との交易の拠点にもなる場所でした。アイヌとの交易では、毛皮、サケ、ナマコ、アワビ、木製の縄などをアイヌから買い、逆に米、酒、たばこ、鉄製品、漆器、木綿などを売っていました。アイヌが生産する毛皮などは本土や大陸で高く売れるため、かなり利益の出る貿易だったと思われます。
 そして安藤氏の行う中継貿易を支えるべく、蝦夷ヶ島に住みついて現地でアイヌとの交易を担う和人たちも現れました。といっても、和人が住んだのは渡島半島の南端あたりであって、北海道の他の部分に住んでいた和人はほとんどいなかったようです。その渡島半島の和人たちは14世紀頃から徐々に組織化されていき、リーダー的な存在が生まれていきました。

十三湖を訪れた際、「しじみ亭奈良屋」というお店でしじみづくしの定食をいただきました。とても美味しいのでお薦めです。安藤氏の歴史を紹介している「市浦歴史民俗資料館」が休館していたのが残念でした。

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