日本人の物語01331【室町/義持期】貞成の冤罪③呪詛疑惑
冤罪シリーズ第3弾です。
義持は称光天皇の一進一退の病状にひどく気疲れしていたと思われますが、さらにストレスフルな事件が起こります。応永32(1425)年8月14日、義満が意を尽くして建てた相国寺が火災で全焼したのです。義持は満済に
「どうすることもできなかった。焼ける運命だったのだ。次はもう少し小さく建てることにする」
と語っていますが、ひどく弱気な発言に見えます。なお、記録を見るとこれ以降義持の酒宴が増えており、倹約好きで三度も禁酒令を出している義持らしくありません。
その後まもなく、出家を遂げて心安らかに過ごす伏見宮貞成親王に、三度目の冤罪が降りかかります。
8月20日、称光天皇に対し、
「貞成が天皇を呪詛しており、今回の病の原因はそれである」
との密告があったというのです。天皇は「いかにもありそうなことだ」と激怒し、貞成親王の処分を命じました。
調査を命じられたのは例によって将軍義持です。義持が侍所に命じて密告者を尋問させたところ、
「呪詛していたのは伏見殿ではなく大覚寺殿と申し上げたのです」
との供述が得られました。
「大覚寺殿」とは小倉宮聖承(おぐらのみやせいしょう:1406?~1443)のことで、前年4月12日に崩御した後亀山法皇の孫に当たる人物です。聖承というのは法名(出家名)であり、実名は定かではありません。いずれにせよ、その小倉宮に仕える三条(さんじょう)という老女官が、後亀山法皇と気脈を通じて称光天皇を呪詛していたというのです。
貞成親王は後亀山法皇とは何の関係もないわけで、密告内容を誰かが取り違えただけの全くの冤罪であることが判明しました。
どうも不思議な事件です。密告者は最初から伏見宮ではなく小倉宮が犯人だと密告したはずなのに、どういうわけか天皇に情報が上がる過程で話がねじ曲がり、伏見宮が犯人扱いされたようなのです。称光天皇はどこまでも伏見宮が嫌いなので、そうした好き嫌いが影響したのでしょう。
なお、小倉宮聖承もまた冤罪を主張してやまず、結局この件はうやむやとなりました。ただ、南朝方である小倉宮にとって、称光天皇が実子のないまま崩御すれば皇位が回ってくるチャンスが得られることから、こうした噂が立つことは納得できます。
この事件、称光天皇のメンタルの不調が生み出したもののような気がしますね。
