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活字嫌いな小娘は、烏丸御池(からすまおいけ)で書く人となった。

私は活字が大嫌いだ。

小学生のとき、格好つけようと思って『ハリー・ポッター』を手に取ったことがある。でも、内容がまったく頭に入らなくて、ページをめくるたびに心が折れた。

「するめちゃん、それ下だよ…。」

友だちに指摘されるまで、下から読んでいたことすら気づかなかった。たとえ上から読んでいたとしても、挫折するのは時間の問題だったと思う。

それほどに、私は活字に不慣れだった。

ドラマの主人公になりたかった

私には夢があった。それは、烏丸御池のおしゃれなオフィスに勤めるOLになること。

烏丸通りと御池通りを十字に結ぶこの場所は、たくさんの人々が交差する京都のビジネス街。近代的なオフィスビルと歴史的建造物が入り混じり、その景色は少し背伸びした気分にさせた。

烏丸御池のオフィスでOLとして働く。それだけで、ドラマの主人公のようだと思っていた。別に職種や業種にこだわりはなくて、ただ烏丸御池のOLになりたかった。

新卒採用された会社は、烏丸御池駅から徒歩5分という理想の立地。新卒社員は私を含めた3人で、それぞれ別の部署に配属された。活字嫌いの私が配属されたのは、よりによってWEBライター部門。

それでも、別にいいやと思えた。まるでドラマの主人公になった気分で、完全に舞い上がっていたのだ。そんな浮かれた新入社員は、ここ烏丸御池でふたりの上司と出会う。地名にちなんで、烏丸さんと御池さんと呼ぶことにする。

赤い暗号が消えるまで

烏丸さんは私より20歳くらい年上で、社会人経験が豊富な生粋のライターだった。WEB関係はもちろん、紙媒体やアニメ・ラジオの脚本まで手がけていたらしい。

烏丸さんはとても物知りな人で、1聞けば100返ってくる。「オッケー烏丸!〇〇ってなに?」とGoogleアシスタントのように上司を使う私に、「生意気な小娘め!」と言いながらも丁寧に答えてくれた。

そんな烏丸さんから、はじめの3ヶ月はみっちり執筆指導を受けることになった。

一本入魂!!

まるで甲子園球児のような心意気で提出した原稿は、余白がなくなるくらい赤ペンまみれで返ってきた。

「トルツメ」「トルママ」という謎の暗号、ミミズのような校正記号。はじめのうちは、校正されている内容の意味すら分からなかった。誤字脱字、表記揺れがあろうものなら突き返された。論外だと。

「主語がない」「誰に向けて書いてるの?」

びっしり書かれた赤字を見て、原稿よりも自分が否定された気がした。

それでも、しょげてる暇なんてない。リライトをしたら、またフィードバックをもらわないとならないから。

「くっそー!赤ペン先生め!」わざと聞こえるように愚痴をいう小娘。

「それ、別に悪口になってないよ。」と、愚痴の語彙力さえも打ち砕かれた。

烏丸さんの手元から軽やかに引かれる赤ペンを見守り、その数に一喜一憂する日々が、いつの間にか当たり前になっていた。

そんな毎日を繰り返していると、「やばい、今日、書の神が降臨してるわ!」と思える日がくるようになった。頭で考えるより先に、言葉が出てくる。キーボードを打つ手が止まらない。

「あ、これ、楽しいかもしれない。」

入社から2ヶ月が過ぎたころ、烏丸さんのフィードバックは赤ペンがかなり減っていた。

自分の文章が良くなった実感はまったくなく、「あれ、最近烏丸さん優しすぎない?」と不安になった。むしろ、もう赤ペンをつけるのすらしんどくなってきたのかな、とさえ思っていた。

そして、さらに1ヶ月が過ぎたある日、烏丸さんと私は社長室に呼び出された。

「するめちゃんのフィードバックはもうせんでええわ。今日からするめちゃんにも記事を書かせるから。」

あっけなかった。気づけば、私はライターになっていたのだ。

3ヶ月間、烏丸さんは小娘の原稿に向き合ってくれた。文章なんて読書感想文以来だったし、きっと支離滅裂だったはずだ。

赤ペンをいれてくれる人はもういない。少しだけ背筋が伸びる。

この日から烏丸さんと二人三脚でメディアを運営することになった。

背中で語る姉御

御池さんは私より1年先に新卒入社した先輩で、サッパリとした性格の姉御肌。私と1歳しか変わらないのに、すでに仕事で成果を上げていて社員全員から一目置かれている存在だった。

「まだ2年目なのに、どうして成果をあげているんだろう?」

ずっと気になっていた疑問の答えは、後に御池さんの部下となってから知ることになる。御池さんはバストの悩みに関するメディアを運用しており、入社から半年ほど経ったころ、私は彼女のもとで働くことになった。

ちょっぴり怖そうに見えた御池さんは、いつだって読者ファーストだった。読者がどんな悩みを抱えているか、どうしたら解決してあげられるか、いつも真剣に考えていた。

商材で扱う商品は片っ端から試し、必ず自分自身の体験談を書く。ナイトブラやサプリメントも、すべて自分で試していた。

「するめちゃん、あんたも試しいや。」

そういわれて、私は乳首をピンクにする怪しいクリームと、大量のバストアップサプリメントを渡された。今までサプリなんて飲んだことなかった私は、抵抗感がなかったといえば嘘になる。

「なんでそこまでしなきゃいけないんですか?」と聞きたかったけど、怖くて聞けなかった。今さら聞くに聞けないくらい、御池さんのなかでは当たり前のことだったのだ。

はじめは、ただの仕事だと割り切った。

得体の知れないクリームを塗り込み、大量に渡されたサプリを消費する日々。いつしか、わずかな体の変化も気にするようになっていった。

そして、クリームやサプリを試していくうちに、気づけば「本気でバストに悩む女性」に自分を重ねていた。あれほど怪しかった商品は、私の悩みに向き合ってくれる存在に見えた。

熱を帯びた文章が自然と指先から溢れた。読者の悩みに深く潜り込めていなければ、あの熱量は生まれなかったと思う。

結局、言葉で教えてもらったことは一度もない。読者の悩みに寄り添う姿勢は、気づけば私の中に染みついていた。

魔法が解けた朝

あれほど憧れていた烏丸御池も、3ヶ月も通えば通勤時間は死人のような顔になる。薄暗い地下鉄に揺られる日々。特に梅雨の時期は、人の熱気で蒸し返していた。

烏丸線と東西線が交わる烏丸御池駅では、乗り換えのためにおじさんたちがすごい速さで走っていく。「きっと運動会の保護者リレーより本気だな」そんなことを考えながら、走るおじさんを横目に改札口へ向かった。

気分はまるでドラマの主人公…なんて思っていた時期は、あっという間に終わった。

駅構内の志津屋では、決まって「ハイジのクリームチーズパン」を手に取る。今日のランチに迷う楽しみさえ、いつの間にか無くなっていた。

重い足取りで4番出口の階段を登りながら、昨日と同じパンが入ったビニール袋を少しだけ前後に揺らした。湿気混じりの朝の匂いが、憂鬱な1日の始まりを連れてきた。

会社にも慣れてきたある日、朝礼で衝撃の事実を知る。

「御池さん、するめちゃんのこと苦手やって言うてたけど、最近仲良さそうやん。」

社長の言葉に、心臓がドクンと大きく跳ねた。

嫌われているなんて、考えたくなかった。それでも、心当たりがなかったわけではない。私以外の女性社員が、タイミングを合わせてランチに出ていった日があった。

オフィスという戦場でモニターに向き合う彼女たちにとって、ドラマの主人公になりたかっただけの私は浮いていたのかもしれない。

時間が止まったように感じた。わずか一瞬の沈黙の中で、胸のあたりから苦い感情が込み上げる。

「えぇ〜そんなこと言わないでくださいよ〜!」

なんとか絞り出した言葉を、「いや、ほんまに。」と御池さんはピシャリとはね返した。

「なんかキャピキャピしてそうで。でも別にそんなこと無かったんやな。」

そう言って笑う御池さんに、込み上げてきたものがスッと引いていく。キャピキャピしてるつもりはなかったが、生意気な小娘であったのは間違いない。

「そうなの?気が合うと思ってたけどなぁ。」と、隣で烏丸さんが笑っていた。

刺さったままの赤い棘

御池さんはすごくお酒好きな人で、大衆酒場でエイヒレを炙る姿が印象的だった。頻繁ではなかったが、給料日を過ぎると烏丸さんと御池さんに飲みに誘われた。

毎朝死人のような顔で通勤する烏丸御池も、ふたりの上司と飲みに行くときは街灯がキラキラと輝いて浮き足立つ。普段は駅と会社の往復しかしないせいか、居酒屋へ向かう路地に入るとまったく知らない街に思えた。

上司とはいえ本当に話しやすい人たちで、実家を離れて暮らしていた私にとっては、京都の母と姉のような存在だった。仕事の話はもちろん、プライベートなこともなんでも打ち明けられた。

とても楽しい時間だったが、今となっては何を喋っていたのか全く思い出せない。それくらい、しょうもないことで笑っていた。

それでも、ひとつだけ引っかかっている言葉がある。

お酒が入った烏丸さんは、「後少しでするめちゃんを一人前のライターにできたのに!」といつも悔しがっていた。

てっきり私がライターデビューしたのは、一人前になれたからだとばかり思っていた。どうやら、私は一人前のライターになる前に放り出されてしまったらしい。

「するめちゃんのフィードバックはもうせんでええわ。」

そう社長に言われたあの日、私は赤ペンから解放された喜びを噛みしめていた。もう、あんなものは必要ないと思い上がっていたのだ。

嫌気がさすほどに赤く染められた原稿は、これでもかと私の言葉を削ぎ落としていった。

でも、まだ十分ではなかった。

「後少しで一人前にできたのに!」という言葉は、今でも刺さったまま抜けない。

本当は、烏丸さんの最高傑作でありたかった。もう見ることの叶わなかった赤ペンも、自分のモノにしたかった。

それでも、その棘が残っているからこそ、私は今も足りない言葉を探し続けている。

烏丸通りを、笑って下る

私はすっかり社会人生活に慣れて、直属の部下となる後輩も入った。

ある休日の午後、同棲をしていた彼からプロポーズをされた。1DKの狭いマンション。少し散らかったままの部屋で、婚姻届けを持った彼が「結婚しよう」と言った。

窓の外にはすっかり見慣れた東本願寺が、相変わらず厳かだった。

後日、上司ふたりにプロポーズをされたと話した。御池さんにも大学時代からお付き合いしている恋人がいて、私の話は少なからず彼女に影響を与えたらしい。

そして週末、実家に帰るとき「プロポーズ、するなら今やで。」と書置きを残したそうだ。京都に戻ると、彼氏からプロポーズを受けたと聞いた。

御池さんは、結婚を機に会社を離れるという。なんとなく、そんな気はしていた。

御池さんのいない会社なんて、つまらない。実際、彼女が会社を去ってから、空気は少し変わった。

翌月、私も後を追うように辞めることを決意。

ある夜、御池さんに3人で飲もうと誘われた。彼女に話したいことは山ほどあったし、3人でまたお酒を交わすのが心底楽しみだった。

ところが、烏丸さんは社長に呼び出されたそうで、約束の時間を過ぎてもなかなか来ない。1時間ほど遅れてようやく現れたかと思ったら、烏丸さんはアホなことを言い出した。

「来月、するめちゃんと一緒にやめることにしちゃった!」

冗談みたいな顔で言うから、御池さんと顔を見合わせて笑った。どうやら、烏丸さんは本気らしい。

「社長との面談で何があったんですか?」と私たちは身を乗り出し、夢中になって烏丸さんに詰め寄った。

いつの間にか、孤独感は氷とともに溶けて消えた。

最後の日、私をライターに育て上げた烏丸さんと並んで、大きな声であいさつをした。

「おつかれさまでしたー!!」

声を重ねて言ったとき、不思議なくらい清々しかった。そのまま笑いあいながら、会社を後にした。

薄暗いビルのエントランスを抜けると、オフィスビルの間からのぞく真っ青な空が夏の終わりを思わせる。その足で烏丸さんと烏丸通りを下って、スターバックスへ向かった。

すると、一足先に無職となった御池さんが、壁一面に広がる窓ガラスの前、円形の木製ベンチに腰掛けて待っていた。陽の光がこれでもかと降り注ぐその場所は、私たち3人にふさわしい特等席のように見えた。

席に着こうと屈んだとき、御池さんと目が合う。

会社を辞める1週間ほど前、私は一度も染めたことのなかった黒髪を思い切って金髪に染めた。

半人前のままの小娘を、これで塗りつぶしてやろうと思った。

私の髪を見た御池さんは、目を細めて笑った。

「ほんまに、分かりやすいやっちゃなぁ。」

こうして、活字嫌いだった小娘は、ここ烏丸御池で書く人となった。

たくさんの人々が交差する街。かつて憧れたこの場所に、今なら少しだけ馴染めているだろうか。

そこで出会ったふたりの声は、これからも私に文字を綴らせる。

体の一部となった、赤い棘とともに。

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