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傷は消えないが、向き合い方は変わっていく―羽生結弦とゆず「幾重」をめぐって

羽生結弦さんがゆずの「幾重」とコラボレーションした演技について語った記事や誌面をいくつか続けて読んで、最初に感じたのはそこにある震災の語りが私たちの慣れた「復興」や「希望」の物語から少しずれているということだった。朝日新聞、TVガイドWeb、スポーツ報知、河北新報、FIGURE SKATING Life、そしてせんだいタウン情報 S-styleの記事を追っていくと、どれにも共通して傷をきれいに意味づけない慎重さがある。むしろそこで一貫して語られているのは、傷は消えずただその向き合い方が時間の中で少しずつ変わっていく、という感覚だった。

災害や喪失について語るとき、私たちはつい「それを乗り越えて強くなった」とか「悲しみを希望に変えた」といった分かりやすい物語に回収したくなる。そうした語りは耳ざわりがよく受け取りやすい。しかし羽生さんの最近の言葉はそのようなきれいな回収にどこかで抵抗しているように見える。そこがまず重要だと思った。

傷は、まず「悲しみ」ではなく実感のなさとして訪れる

たとえば朝日の記事では、震災直後のことが「深い悲しみ」から始まるのではなく何を失ったのかすぐには分からない、感情が追いつかないという感覚として語られていた。これは非常に大事な点だと思う。大きな災害が人に与えるものは最初から整理された悲しみではない。むしろ現実感のなさや、世界から一歩遅れてしまったような宙づりの感覚としてやってくる。

しかもその只中でふと「星がきれいだ」と感じた記憶が残っている。惨事の中に場違いなほど美しい知覚が混ざっているのである。このことは被災という経験を単純な悲劇として均してしまわないという意味でとても誠実だと思う。傷は最初から意味を持って現れるのではなくまずはうまく名づけられない感覚として訪れる。朝日の記事はその不揃いさを消さずに残していた。

一方で、TVガイドWebやスポーツ報知の一問一答、せんだいタウン情報 S-style の記事を読むと、その傷との関係は時間の中で少しずつ変わってきたことも分かる。羽生さんは被災された方々の痛みに寄り添うことに「少しずつ上手になってきた」と語っていた。さらに蓋をしてきた過去の自分にも「大丈夫だよ」と言ってあげられるようになってきたとも語っている。

この「少しずつ」という言い方がとても重要だ。ここにはある日突然すべてを乗り越えたという感じが全くない。傷が消えたわけでもなければ完全に整理されたわけでもない。ただ毎日の積み重ねの中で向き合い方が変わってきたのである。

私は以前、『傷の受容』という文章の中で傷とは「なかったこと」にする対象でも「きれいな成長譚」に回収するための材料でもないと書いた。むしろ傷はそれを抱えたまま生きていく時間の中で少しずつ関係が変わっていくものではないかと考えた。羽生さんの言葉を読んでいるとその感覚が非常によく分かる。傷を消すのではなく意味づけで上書きするのでもなく抱えたまま付き合い方を変えていく。そこにこそ受容があるのだと思う。

伝承とは、痛みをそのまま渡すことではない

さらに印象的だったのは、羽生さんが「伝承」をつらい記憶をそのまま若い世代に背負わせることだとは考えていない点である。「つらい記憶を無理やり提示することが伝承ではない」という考え方は本当に大事である。忘れないことは大切だが、それを同じ痛みの再演だと考えてしまえばそれは継承ではなく単なる痛みの強制になってしまう。

羽生さんが伝えるべきだと考えているのは、悲しみそのものというより、そこから何を学びどうすれば命を守れるのかという知恵の方なのだと思う。この考え方にも傷との付き合い方の成熟が表れている。自分の痛みをそのまま他人に渡すのではなく他者が受け取りうる形へ変えて差し出す。その変換の仕方の中に受容の深まりがある。

ここで思い出していただきたいのが、私が以前書いた「継ぐもの」という文章である。継承とは痛みをそのまま手渡すことではない。また、痛みを美しく加工して無害なものにしてしまうことでもない。そうではなく傷の重さを知った者がその重さを他者に押しつけない形で、しかし確かに受け渡していくことだと思う。そのとき受け渡されるのは出来事そのものだけではなく、時間の感じ方であり、慎重さであり、急がないことの大切さであり、そして少しでも未来を明るくしようとする祈りなのだと思う。

「幾重」は複数の人生と記憶が重なったまま存在する

せんだいタウン情報 S-style の記事であらためて強く感じたのは、「幾重」という題名そのものがこの作品の本質をかなり正確に表しているということだった。ここでいう「幾重」は、単に時間が何層にも積み重なるという意味だけではない。いろいろな人の人生、いろいろな記憶、いろいろな解釈が、ひとつにまとめられず重なったまま存在するという意味でもあるのだと思う。

羽生さんは被災された方々の話を聞き、ゆずの歌詞を聞き込み、自分自身の16歳の記憶にも触れながら振付を作っていったと語っている。けれどもそこには安易な同一化がない。被災者の傷と自分の傷を「同じもの」としてしまうのではなく重なる部分と重ならない部分の両方を抱えたまま、そのあいだに振付を与えている。だからこの作品は、震災を説明するプログラムではなく傷を抱えた人がそれぞれの時間の中で受け取ることのできる、開かれた祈りの形になっているのだと思う。

ここで「幾重」という演技を考えるとその意味がさらに見えてくる。もちろん「幾重」はもともとゆずの楽曲であり、この作品の出発点にあるのはまず彼らの歌詞と旋律である。そのうえで羽生結弦はその楽曲に自分の記憶や時間感覚を重ね身体表現として応答している。このプログラムは、震災を題材にしているからといって悲しみを激しく訴えたり、喪失をそのまま再現したりする演技ではない。むしろ傷や記憶に触れながら、それでもなお少しでも未来が明るくなるようにという祈りを込めて滑られている。

河北新報の記事で羽生さんはこの曲を「すごくポップス」と捉えていた。これは非常に興味深い言い方だった。震災十五年という文脈に置かれると、どうしても鎮魂や重さの側からだけ読みたくなるが、羽生さんはそこに軽やかさや開かれた明るさも見ている。つまり「幾重」は、悲しみを深く抱えたまま閉じる曲ではなく未来へ向かう開口部を持った曲として受け取られているのである。

この「明るさ」はもちろん楽観的な明るさではない。悲しみを忘れた明るさでもない。むしろ傷があることを知った上で、それでもなお差し出せる優しさや祈りのかたちとしての明るさだと思う。「幾重」は強さを誇示する演技というより、祈るような、差し出すような、静かな身体表現として捉えられていた。そこには激しい克服のドラマではなく、傷を抱えたままなお他者へ向かおうとする姿がある。

技は自己目的化せず、歌詞と時間感覚に奉仕している

S-styleの誌面でさらに印象的だったのは、振付の細部が技術そのものを見せるためではなく、歌詞と音と時間感覚に完全に従属していることだった。ハイドロ、バックスケーティング、前転、中盤で膝を抱える姿勢、そこから「歩き出す」方向への変化。こうした所作は単体で技巧として自立するのではなく歌詞や曲の流れの中で意味を持っていた。

実際、羽生さん自身も「丁寧に氷を感じながら全部滑っていきたい」「ダッシュではなく一歩ずつ歩き出す」といった趣旨を語っている。つまりここで重要なのは難度の高さだけではなく、技がどのような時間を作っているかということだ。技巧は誇示されるためにあるのではなく、感情や祈りの運び手として置かれている。その意味で「幾重」は技術の優秀さを示すプログラムである以上に、技術が表現に奉仕するときどこまで深い作品になりうるかを示しているように思う。

羽生さんの場合、傷への向き合い方や受容の方法そのものがとりわけ近年の作品全体に通奏低音のように流れている。それは長く持続する深い主題ではあるが、決して陰鬱なものではなくむしろ静かな肯定性さえ帯びている。そのことが彼の強みであり、表現のオリジナル性にもつながっているのだと思う。

もちろん、震災という大きな経験がなかったとしても、羽生結弦は別のかたちで大成していた可能性が高い。しかし震災経験は彼の表現に別の位相を与え、その立ち位置を単なる卓越したスケーターとしてだけでは捉えきれないものにした。そこから生まれる演技は容易に他者が代替できるものではない。

こうした羽生さんのインタビュー発言を細かく読み解いていくことは、単なる周辺情報の収集ではなく、彼の表現を支えている観念や思考の癖を理解することにつながると確信する。そしてそれは演技そのものを見るときの重要な手がかりにもなる。

もちろん、言葉が演技を完全に説明するわけではないし、作品は作品としてまず身体の現前として受け取るべきものだろう。それでも彼が何を急いで語らず、何を慎重に言い換え何を決して美談にしようとしないのかを知ることで、氷上の所作や間や静けさの意味が少し違った深さで見えてくる。羽生さんの演技はしばしば「感覚的に圧倒される」と言われるが、その感覚の背後にはこうした長い思考の堆積があるのだと思う。

受容の先にあるのは、回復ではなく、差し出せるものを持つことだ

こうして見ていくと「幾重」は単なる追悼演技ではないのだと思う。それは、傷をどう抱えて生きるかその傷をどう他者に渡すか、そしてその先でなお何を祈れるのかという問いそのものを形にした演技なのではないか。

羽生結弦さんの最近の言葉と演技を見ているとそのことがとてもよく分かる。彼は傷を否定しない。傷をきれいにも飾らない。それでも傷だけに留まり続けるのでもない。抱えたまま少しずつ向き合い方を変え、その先でなお差し出せるものを探している。その姿は特別に劇的ではなく、むしろとても地味で、静かで、時間のかかるものだ。だが本当の受容とはきっとそういうものなのだろう。急に前向きになることでも感動的な言葉で包むことでもなく、何度も揺れながらそれでも少しずつ手つきを変えていくことなのである。「幾重」はその手つきの変化そのものを見せる演技なのだと思う。

だから私はこの一連の記事や誌面を単なるインタビューや公演紹介としてではなくひとつの彼の思想の記録として読んだ。そこにあるのは、「どうすれば傷を消せるか」ではなく「傷を抱えたまま、どう生きるか。どう継ぐか。どう祈るか。」という問いである。そしてその問いは、震災を経験した人だけのものではなく、誰にでもそれぞれの傷があり、それぞれの喪失があり、それぞれの「簡単には意味づけられない時間」がある。だからこそこの語りは多くの人に届くのだと思う。
傷の受容とは特別な人の特別な体験ではなく、私たちがそれぞれの人生の中で少しずつ学んでいくしかない生の技法なのだと今はそんなふうに感じている。


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