『東京物語』ちょこっと裏話
小津安二郎監督
脚本・野田高梧 小津安二郎
撮影・厚田雄春
音楽・斎藤高順
ひょっとして
ご覧になってない方がいらっしゃるかも・・
で、凄ーく簡単にあらすじです。

尾道に住む老夫婦・周吉(笠智衆)と とみ(東山千栄子)が
二十年ぶりに上京。
東京では 開業医の長男(山村聰)
美容院を営む 長女(杉村春子)も歓迎し
それぞれの家にも 短く滞在するが
両親の相手をする 時間のない兄妹は
お金を出し合い お仕着せのように 二人だけを熱海にやる。
しかし
混み合う熱海の宿は 夜遅くまで騒々しく
「こんなとこは、若いもんが来るところじゃ」
そんな中で 会社を休み
心からの誠意で 尽くしてくれたのは
戦死した次男の嫁・紀子(原節子)だった。
紀子のアパートに 立ち寄った周吉と、とみ。

「何にも、召し上がる物が無くて・・・」
お酒も 徳利も お猪口も お隣りからの借り物
それに 出前の丼物。
ほんとに ほんとに
もてなす物が何ひとつ無い中で
紀子の義両親に対する仕草は 思いやりに溢れています。
やがて数日後、
それなりの満足で 尾道へ帰る周吉と、とみ。
ところが帰郷して間もなく とみは病に倒れ
電報で集まった
子供たちや紀子に 見守られながら亡くなる。

葬儀の後
最後まで尾道に留まった 紀子と周吉の会話。
「自分の育てた子供より、いわば他人のあんたの方が
よっぽど、わし等にようしてくれた」

やがて、紀子も東京に帰って行き
ひとりになった周吉は 窓のむこうの海を眺める。
ポンポン、ポンポン・・
ポンポン船の音が 聞こえて来る。
周吉の淋しさが
しみじみ伝わって来る ラストシーンでした。

〇
当時の
尾道-東京間の所要時間は 約15時間。
地形上
途中に次男 (大坂四郎)の住む 都会(大阪)があり
また帰途に 体調を悪くする程度の距離と時間から
舞台を尾道と設定。
はじめに 尾道ありき ではなかったという。
このとき、助監督だったのが今村昌平監督。
今村監督は 早稲田・文学部を卒業し 松竹に入社。
欠員の出た松竹の 初の助監督公募で
2000人中8人という 超難関を突破しての合格だった。
この『東京物語』の撮影中
今村さんのお母様が亡くなったそうなのですが
そのご病気が
劇中の東山千栄子さんと同じ 脳溢血だったそうで
東山さんが 息を引きとるシーンでは
「脳溢血で死ぬのは あんなもんかい?」
と、小津監督が しらっと訊いて来たそうです。
映画作家って 相当なもんだぜ・・
今村さんはそう思ったって。
今村さんは
これより以前に『麦秋』と『お茶漬けの味』でも
小津監督についていましたが
初期の頃、一か月くらい経って
ライティングの仕事で熱くて熱くて 汗まみれになっていると
「今村クン、汗だけは巨匠並みだね」と
はじめて小津監督から 声をかけられたそうで
名前を憶えてくれたんだな、と
とっても嬉しかったそうです。
今村監督も 若い頃は可愛かったんですね。
のちにホンモノの巨匠になりました。
そして 有名なこのシーン。
とみ(東山千栄子)が 亡くなった早朝
浄土寺多宝塔下の 周吉の家で

「静かな 夜明けじゃ・・」
ひっそりと静かで ピンと張りつめた
明け方の空気が 伝わって来るような場面ですが
実際には ↓


午前3時からの この現場には
浄土寺の狭い境内に 2000人以上の見物客。
後に「尾道三部作」を製作する
当時15歳だった大林宜彦監督も この中にいたそうです。
この尾道ロケに 参加した主要俳優は
笠智衆、原節子、香川京子の3人でしたが
原節子さんが到着する時刻には
尾道駅の入場券が 3000枚売れたとか。
しかし原さんは 前作の東宝映画『白魚』の撮影中
カメラマンだった 実のお兄様が
原さんの目前で 列車に撥ねられ
不慮の死を遂げられるという 悲劇に遭われ
この日は
そのたった10日後の 尾道入りだったそうです。

堤防の海側には 万が一に備えて
足場が組まれていました。


おしまい
