【RingNeのイベントに参加してきた】
運営スタッフというものがないイベント
廃校を利用したキャンプ場に
2泊3日テント泊で
雨宮優という作者が描いた
RingNeという体験小説の世界の住人として
滅んでゆく人類が電脳の世界へ
エミュレーションして行ったり
肉体にとどまったまま寿命をまっとうする人がいたり
人類のリアルでの世界の終末的な
2046年という架空の世界の最後の祝祭
世界観の中での過ごし方を
施設として限られたルールを守りつつ
各々がしていくという没入型のイベントでした
小説の「RingNe」を読んで取り組む
という原則もあり
通勤時間的な読書時間をあまり取れない生活の中で
Spotifyに同人的に掲載されたサウンドノベルを
第一章は運転などをしながら聞き
第二章はiPhoneの音声読み上げ機能で聴いた
第三章は聞きなれない単語が満載だったの
で文字で読んだ
作者自ら体験しながら学んだり感じたりしたことが
小説の中に反映されてゆくのだが
農業的視線として
私の学んできた得てきた情報が
同じところから来ているようで
私の生き方にも共通することが多かった
冒頭に書いた今回のイベントに
運営スタッフがいないということで
zoomやディスコードをつかっての
打ち合わせやイベントの準備が進められた
大きなコミュの中に
いくつかのjobグループが出来き(掛け持ちOK)
その中でさらに役割が自発的に出てくる
これは実際に電脳世界に人類が移行してゆく過程で
公的機関や交通社会、ライフラインにかかわる
全てが欠けて行き
肉体でリアルに止まる人々が助け合って
自然とコミュやリーダーなどが生まれることに
シンクロした
多分作者の意図として
その状況も体験したいということがあったように
思っていた
自発的に指揮を取る人
リスクヘッジをする人
どんどんアイデアを出す人
作業を淡々とやる人
指示を待ちたい人
私は音のjobをメインにしてはいたが
自分が参加する社会のルール的なことが
色々気になるタチなので
リスクヘッジ的なこと
情報が足りないところなどを
気がついたら洗い出ししていたように思う
やる人がいないとやってしまうタイプなのだが
ものすごくやりたいわけではなく
やる人がいないと困るから
自らやるというスタンスなので
やりたそうな人がいれば身を引いていた
この世界では
「ならねばならぬを手放しましょう」
ということが
作者からもギャザリングの3つの心得として
敬昌されていた
私も日頃から
〇〇しなくてはならない
とか
〇〇さんのために
とか
犠牲者的発想で作業をしないで欲しいと
周りの人たちに伝えている
作業≠仕事
作業の延長上に遊び心が含まれていなければ
それは仕事(お金を得るためにやること)となる
仕事はどこか他者のためにやる事で
他人と繋がるために何かを犠牲にしてやる事という
イメージがある
やりたいからやる
ワクワクしないことはやらない方がいい
誰かのために何かするのは
自分のためであり
相手の喜んでいる様子を見るのが
私にとってのご褒美(対価)である
人のためと思うならしない方がいい
なので、作者の敬昌する
その他の心得としての
「『私達』という感覚」を持つや
「自分のことは自分で」という気持ち
を日頃から尊重してきているつもりである
お金を引き換えにお金を目的に
動くということを極力減らしたい
とはいえ、、、
場所を維持するために
公的機関や交通費などは必要になるので
現金収入も必要なのだが、、、
現地ではオープンマイクとか
お洋服のレンタルとか
ワークショップをして
収入を得ようか?と思ったが
金額を表示してはいたものの
結局は一銭も誰からももらわなかった
関わった人が楽しそうなのを眺める
それがやっぱり
私の最大のご褒美なのである
お金の話は置いておいて、、、
人は常に自分の居場所を欲している
グランドのセンターを囲うように
周りにテントが貼られ
夜になると自然と火のあるところに人が集まってゆく
今回私も火の用意はして行ったものの
火の材料も無駄にしてもだし
すでに人が集まっているところに
自然と吸い寄せられてゆく
ひとしきり話をしていると
訪問者が訪れ
また参加者も他の火へと移動してゆく
そして一番居心地の良い🔥のところに
集まってゆく
火の主が賑やかなところ
酒があるところ
美味しそうなものがあるところ
すでにグループが成立していた団体
飲んで酔っ払って普段自制している自分を
曝け出す人
音楽を奏でる人
友達と参加している人
イベント以前からの知り合い
地元が近い人
遠くから来ている人
哲学を語る人
野毛の飲み屋街を回遊していた頃を思い出す
何の約束もしない
時折一緒にあっちに行ってみる?など
誘ってみたりもするが
トイレなどのタイミングなどで
ふらっと消えて
また
ふらっと戻ってきたりこなかったり
時折火の主も消えたり現れたり
強制されない集まりの中で
誰のためではない過ごし方
火が終わる頃には
テントに帰ってゆく人
暗闇の中でそれでも語り合う人
人はそうやって
自分の居場所を探し続ける
作者も火の主をしていたが
あまり声を発しなかった
傍観者的なポジションにいる事が多い
それでも火の周りに人が絶えないのは
圧倒的な存在感と
この世界観を作ったある意味「かみ」であるからと
時折発する言葉と生き物としての生態が興味深い
主が語らない事で
参加者が勝手に会話を進める
この作者が多くを語るのは文章として
文字に落とし込むときである
じっくりと言葉を選びしたためる
思いつきで語るという事は
その言葉が聞き手の心に刻まれること
一度発した言葉はなかったことにはできない
自分の発する言葉の重みを感じさせられる
永遠の別れが直後に訪れるとしたら
言葉というのは安易に発してはいけない物である
その内容が本質に近づけば近づくほど
言葉の重みが増してゆく
人は言葉があるから悩む
動物のようにノンバーバルで
アイコンタクトや空気感、呼吸のリズム
仕草、食べ物の共有、狩猟どの協力関係
目の前にいる見えている存在だけが
相手と自分の距離感を決めてゆく
人間は言葉に頼りすぎであるが
考えていることを交換することで
短時間で相性を測る
だけど言葉は盤石ではない
同じ言葉を使っていても
語り手と聞き手の認識の違い
置かれた立場によって
全く違う意味合いとなって
伝わって行ったりする
RingNeは輪廻がテーマでもあるが
人類の生き方がテーマでもあったように思う
人は物語を通して
作者に共感したり反発したり
新たな発見をしたり
さらにその先を想像したりする
作者は創造主でもあるが
物語が作者の全てではない
登場人物もまた作者の一部ではあるが
同一なわけでもなく
近くにいた人であったりその混合であったり
作者の知識が
自分の知識と重なる部分に
何か親近感を覚えたり、、、
自分の師匠が推奨する
微生物ネットワーク農法の考えに
似た知識をどこから学んだのかな?
奇跡のリンゴかな?
「この人もNHKの超・進化論見たのかも」とか、、、
リアルとフィクションの間(あわい)を
行ったり来たり、、、
私のかかわる世界にはたくさんの
間(空)がある
舞踏から学んだ空
からだ(身体、空だ)、入れ物として
日本家屋の障子や襖や欄間のように
紙一枚と建具の隙間から漏れる音や空気
外と中を隔てる建具だが隙間を開けてみたり
ニュートラルベースNLPは
アメリがで作られたNLPに
般若心経の「空」の概念が取り入れられている
人間、世間、仲間、間合い、間抜け、間柄、民間
空間、合間、雲間、間隔、
時間、隙間、期間、瞬間、昼間、夜間、
時空を超えた世界への移行、、、
人生ままならぬ
それもまた人生の楽しみでもある
終わりがあるから
人は終わりに向かって
もがき苦しみ喜びを見出す生き物である
終わりのなき人生が来るとしたら
思考だけの世界が来るとしたら、、、
それは人間なんだろうか??
もはや何か違う生命体(思考体)に
なるんだろうなぁ、、、
私はday3の「滅」というセレモニーに
深くかかわることとなった
イベント前日から担当するメンバーと合流し
古民家で合宿して準備をして
現地に向かった
日々行われるセレモニーの
各テーマの中で
没入感が深められてゆく
そしてリアルに戻ってきた
最後の祝祭の間
人々と音楽のセッションをしたり
のんびりと楽器作ったり
竹細工をして過ごそうかと思ったが、、、
結果、自分が主にかかわるセレモニーの準備
他者のパフォーマンスの観覧
テントやオープンマイクの設営で
時間をほぼ使ってしまった
やはり一人のんびり何かする時間を作るよりも
自分の優先順位は
人と関わることに使われるらしい
おまけで、、、
イベントの最終日の夜
参加者のピアノを弾く男性が
古民家に泊まりに来ていた
出発の朝
私が期間中聞きそびれてしまった
ピアノの曲(小説にも出てくる)を弾いてくれた
ゴルトベルク変奏曲
ボレロのようにフレーズが繰り返されながら
膨らんでゆく
繰り返し、、繰り返し、、、
集まって、、解けて、、、
輪廻、、RingNe、、、人生の縮図のようであった
楽しくも、体力的には限界だったようで
今日は気持ちよく電池切れ
古民家のリラクゼーショングッズを
模様替えして
とりあえずのんびりして
体の疲れを取ろうかなと、、、
